DSCF0825















  DSCF0826

















 
 7月6日(金)の夕方、関西電力大飯原発の再稼働に抗議する
大規模運動がどんな状況かを見るために官邸前をめざしました。
 5時半頃に国会議事堂前で下車したのですが、普段は簡単に
行けるのに、交通規制が張られており、小雨の中を遠回り、遠周り
で、30分歩いても官邸前には行き着けず、カメラ片手の観光客
みたいにウロウロと霞が関を周遊しましたね~

 写真のように風船をどうぞと言われたり、音楽が演奏されていたり、
子連れの多い待機所では、まるで運動会みたいな雰囲気です(笑い)。

 DSCF0824



















  至るところ、警視庁の機動隊が相当数動員されているのですが、
私が途中で機動隊員に「官邸まであとどの位時間がかかりますか?」
と尋ねると笑顔で答えてくれて、調子が狂うほどフレンドリーでしたよ。

 DSCF0814


















 7日付の新聞発表によると、6日は主催者発表で約15万人、警視庁
では2万1千人の参加者がいたそうだけど、なんでこうも数字が違うの
でしょうね?!
 それはともかく、全体の雰囲気に緊迫感はなく、まるでその昔の・・・
村の鎮守様のお祭りに集まってきた人の群れを感じました。
そのうち屋台が出るかもしれませんね(苦笑)。

 それでも今まで動かず、意思表示せずの普通の市民が、政府に抗議
行動を起したのは貴重なことだと思うのです。
先進国では当たり前だし、アメリカ程ではないにせよ、その昔に較べる
と悲壮感はまるでなくてカジュアルですからね~

 日本でこれだけの市民が集まるのは、1960年の安保闘争以来だと
言われているのですが、60年安保とは規模も衝突レベルも違います。
(私は子どもだったので参加していないけど、切迫感は感じていました)

<60年安保闘争とは>

DSCF0829

















1960年6月15日
全学連主流派が
国会正門前に集
結して突入した



 


 戦後間もない1951年に調印された日米安全保障条約の改定に
伴い、岸信介内閣による改定交渉が1959年から進んでいたが、
社会党による安保改定阻止国民会議の他、全学連を中心とする
学生の反対運動が起きた。

 60年5月、岸内閣が条約批准を強行採決したことから、民主主義
擁護の運動として広がり、労働者、学生、市民が参加する日本史上
空前の反政府・反米運動となった。

 6月15日、国会前に主催者発表で33万人、警視庁発表で13万
人が集結。正門前でデモ隊と機動隊が衝突して東大生の樺美智子
さんが死亡した他、重傷者が多数出た。
 当時の岸信介首相は、陸上自衛隊の治安出動を要請したが、
赤城防衛庁長官がこれを拒否。
混乱の収拾と責任をとって、6月23日に内閣総辞職をしている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 この時代、政治を変える市民運動の主役は大学生でした。
今は他人事なのか、あるいは諦め先行なのか、学生が動かない
現状は困ったものだと感じてきましたが、原発問題をきっかけに、
学生や若者に当事者意識をもってほしいなーと思いますね。

<余談ですが・・・>

 個人的には70年安保闘争を挟む全共闘世代と言われていますね。
「怒れる若者たち」(angry youngman)とも呼ばれ、私の時代は
大学生の15%が学生運動に携わっていたのだから、学生の社会的
関心度がいかに高かったことか。

 68年の東大闘争、日大闘争、69年の東大安田講堂事件、70年
の盾の会事件(三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊総監部で切腹自殺)、
72年のあさま山荘事件と、次々起きるノンフィクションの大舞台は
国民を連日テレビの前に釘付けにしていましたね・・・。

 東大全共闘の山本義隆、日大全共闘の秋田明大などが若者の
ヒーローとなり、私も国際反戦デーに集まり、「佐藤首相訪米阻止!」
を叫んで日比谷公園でのジグザグデモに参加したりしました。
 
 新宿駅の西口広場を占拠し、「フォークゲリラ」と称して、数千人で
反戦ソングを歌っていたのも今となっては得難い思い出に・・・・。

※当時、学生運動に関わっていた著名人
 仙谷由人、渡邉恒雄、加藤紘一、中島みゆき、山本コータロー、
 高野孟、加藤登紀子、テリー伊藤、坂本龍一、糸井重里、猪瀬直樹、
 吉永小百合 など