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1990年、南平台での
三木睦子さん(73歳)




 三木睦子さんが7月31日に95歳の生涯を終えられたとのこと・・・。
日本をパワフルに支えた巨星が又一つ落ちたという想いがあります・・・。

 1917年7月31日のお生まれなので、ピッタリ95年後に亡くなられた
ことになり、もしやご本人がカウントダウンをされていたのではと思える
ような命日です。

 昭和電工の創業者の次女に生れ (森コンツェルンのお姫様ですね)、
家柄が違うと言われながら1940年、後に66代内閣総理大臣になる
三木武夫さんと結婚。88年に三木元総理が亡くなるまで、内助の功を
超えた両輪で政治家の夫を支えた賢夫人として知られていますが、
自民党の中では左寄りとされた三木元総理に対して、睦子さんは更なる
「家庭内左派」だったとか。頭を垂れ、三つ指ついて「はは~」と従うだけ
の奥さんより、数段面白いですよね~

 ウィキぺディアで「三木睦子」を開くと、日本の政治運動家、社会活動家、
第66代内閣総理大臣 三木武夫夫人の順番で記載されており、
社会に向かって終生発言したファーストレディは別格ではないでしょうか。

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      三木睦子さんを
      ご自宅に訪ねて。
      帝国ホテル社長
      犬丸一郎さんと。










 今から22年前になりますか、私が生活提案誌「RELAXの編集人をし
ていた頃、人物紹介をする特集記事のインタビューのため、三木睦子さん
を南平台のご自宅にお訪ねした時の写真が、右上のものです。
 総理大臣経験者の私邸に伺ったのは、後にも先にもこの1回ですね~
(さすがに広い庭を背後に控えた豪邸で、睦子さんと犬丸さんが座って
おいでの応接間には10席以上の椅子が並んでおり、更に奥には会議用の
コーナーもありました。お偉い政治家は自宅の中でも会議を開くのですね)

 この時のインタビュー記事(バックナンバー)は今は見当たらないのですが、
睦子さんは犬丸一郎さんに連れられて行った初対面の私たちを快く迎えて
下さいましたね~。そして、2年前に逝去された三木元総理の思い出話や、
彼の遺志を継いで、社会のために行動していきたいといった趣旨の話と、
プライベートなこともざっくばらんに語っていただいたように記憶しています。
 言葉があの時代を生きた70代の女性とは思えないように明確で、誰にも
遠慮がなく、堂々として、前向きで・・・私好みの姉御タイプでしたね~

 写真にも映し出されていますが、凛とした存在感があり、きちんとお化粧を
した上でのファッションセンスも抜群で、そこはお育ちの良さと気品が漂って
おりました・・・。
(8月4日付の朝日新聞の記事で、作家の澤地久枝さんが昨年会った際も
94歳の睦子さんはハイヒールを履いていたそうですが、女優の岸 惠子さん
と同じく、年齢を超えて美しくありたいという心意気がご立派で憧れですよ~)
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  三木睦子さんは憲法改正を阻止しようと、9条を堅持する「九条の会」を
大江健三郎さんと共に呼びかけ人になったことは有名ですが、北朝鮮との
国交正常化のために平壌まで金日成主席に面会に行ったりと、その行動力
には脱帽ですよね。
女性の政治参加を進める活動にもご尽力されたようですし・・・。

 三木睦子さんとお会いしたのは人生のほんの一瞬ですが、見事な生き様に
対面して触れ合った経験は、自分の中で貴重な精神のDNAとなって流れ続
けているように感じられ、人生は人との出会いや交流が最高の価値かなぁと
改めて思います。

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<余談1ー犬丸一郎さん>

 三木睦子さんに引き合わせて下さった犬丸一郎さんは、その時、帝国ホテル
の社長でおいででした。
1926年生まれなので、現在は86歳におなりですが、当時は64歳でしたか・・。
中々の渋い二枚目でしたよ~
(帝国ホテル本館の3階に社長室があり、世界の一流品が並んでいました)

 慶応義塾大学を卒業して帝国ホテルに入社後は、清掃の仕事から始まり、
客室、調理場などホテルを支える現場の仕事を積み上げて、社長になった人
です。
アメリカの有名女優、マリリンモンローが宿泊した際にアテンドをしたとかで、
帝国には海外の有名人が訪れるから様々な物語がありそうですよ~

 そして、犬丸一郎さんを私に紹介下さったのは、今は亡き経済評論家の
高島 陽さんでした。最新トレンドを探検して歩く「耳よりの会」の主催者でした
が、野次馬の私がその会に参加していたご縁で、何かと手助けをして下さい
ました。どなたかのご縁で人を紹介いただき、更にお引き合わせいただける・・・
人生は玉突きみたいで面白く、楽しいですね~。

<余談2ー雑誌RELAX>

 雑誌に詳しい方はお気づきかもしれませんが、三木邸に取材に行った時
ミニコミ誌、RELAXはあの後で運命が大きく変わりました。     
 5年後の平成7年頃に、出版社のマガジンハウスから1本の電話が入り、
社長の木滑良久(きなめりよしひさ)さんが私のもとを訪ねて来られました。
そして、翌年マガジンハウスの「relax」としてメジャーデビューしたのです。
 木滑さんは、平凡パンチ、アンアン、ポパイ、ブルータス、hanako   olive
などを産んだ名編集長で、relaxを引き受けて下さったことは光栄でした・・。

 雑誌(商標)にも運命があるのですね~。
ただ今は休刊中ですが、木滑さんは会長となられ、現在も取締役最高顧問
で活躍中ですので、またいつか再デビューしてくれるといいなーと思います。

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三木睦子さんを
取材した当時の
RELAX
 







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        マガジンハウスから
        出版された relax