元禄15年(1702年)12月14日、ご存じ
赤穂浪士が主君 浅野内匠頭の仇・・
吉良上野介の御首級頂戴のため討ち
入りをしてから309年・・・。
今年の14日も泉岳寺では義士祭が
開催されて、大石内蔵助以下47人が
眠る境内には私を含め3万数千人が
お参りをしたとお寺から聞いています。
※現役の天皇誕生日に参拝するのは
2011 年12月 23日で25.000人。
討入から300年以上を経てもなお、
毎年3万4万もの日本人が大挙して
墓参をする超VIPは、他に存在してい
ないのではと思いますが、その絶対的
な人気はどこにあるのでしょうか?
元禄14年(1701年)3月14日、播州赤穂(現在の兵庫県赤穂市)藩主(大名)だった
浅野内匠頭長矩(35歳)が、江戸城松之廊下で吉良上野介に対する刃傷事件を起し、
即日切腹、お家断絶を受けて1年9ケ月。大石内蔵助(45歳)たち家臣は、男の命と
意地をかけて吉良の首を打ち取り、切腹して果てた「赤穂事件」・・・。
敵討ちですが、幕府の家臣を集団で殺害することは、今の日本の刑法に照らすと
テロともいえる重罪ですよね。(記録では、吉良の側近が15名死亡、13名が負傷した)
敢えて罪名をつけると、殺人予備、凶器準備集合、住居侵入、器物損壊、殺人、
傷害致死、暴行、傷害といったところでしょうか。いわば天下騒乱の大罪人です。
最終的には江戸幕府(5代将軍徳川綱吉)は、江戸町民の世論を踏まえながらも
「義は私であり、法は公である」・・いわば法治主義の理念にのっとり(それでも打首
などの処刑ではなく)泉岳寺近隣の大名屋敷で切腹をさせたのですが、生命をかけ
て果てた潔さが300年以上にわたる永遠化につながったのかなと思います。
それにしても今の日本、
忠臣蔵で見せた男の武士道精神と覚悟はどこへ消えたのか?!
少なくとも、国の最高権力を握る大臣級以上の政治家や、官僚の総責任者、東京電力のように一つ間違えば大勢の命や財産、健康を奪う重責をもつ企業のトップが我が身可愛さで目先の利害得失に走り、まともな責任を取らずしてどうするのですか?
権力の座に座る者は、ことあらば生命と財産を投げ打つ覚悟をもってほしい。
権力と責任は併せもつもの。今のトップは覚悟をもたず責任の取り方も軽すぎると思いませんか?
(12月14日の泉岳寺、赤穂浪士に線香の煙が充満)
<大石内蔵助のリーダーシップ>
総指揮者 大石のリーダーシップは現代にも通用するもので
緻密な計画を立て1年9ケ月で成就した戦略戦術は見事な
ものであった。(以下、文献から主なものをポイントで抜粋)
①主君浅野内匠頭の切腹を知った直後から自らの死を覚悟し、
敵討ちを前提に、大義名分と江戸市民の世論を考えていた。
②浅野家断絶、城の明け渡しに伴い、家臣に残余財産の分配
をしたが、自分は辞退し下禄の者に厚い配慮をした。
③罪累が親族に及ばないように、妻子との離別、親族との義絶。
④大願成就のために緻密な脚本・作戦書を作成した。
⑤機密保持をしながら、節目節目で会合をもち、説明、議論、
意思の確認など。仲間の結束を固めるために署名・血判書も。
⑥吉良の行動スケジュールや屋敷の絵図面など、情報収集。
⑦直前の実行計画、役割分担、武器・武具の調達、
⑧瑤泉院(浅野夫人)からの資金援助会計管理と報告書
⑨討入り後の幕府への報告書(口上書)事前準備
⑩討入り直前、浪士全員に「人々心得」(集合、配置、戦い方
照明、敵対、相互連絡、吉良首の処置、引き上げ、負傷処置
追手対処、近隣挨拶、泉岳寺への行進、目付に出頭・自首)
なお、幕府から江戸の町民に至るまで、「武士とはかくあるものか」
の手本を示されたと受け止めていたようだ。
また、⑨の口上書を呼んだ時の将軍綱吉は赤穂浪士に同情的で
あったとされる。
更に大衆は赤穂浪士の壮挙を絶賛し、かわら版も「江戸中の手柄」
と書き立てたという趣旨の記録があると聞く。
※大石内蔵助びいきの私は、過去それなりに文献も読んできましたが、
今回は加藤廣の「謎手本忠臣蔵」上中下(約 980ページ・新潮文庫)
を参考にしております。
<後日談ですが・・・>
14日に泉岳寺にお参りをした後の17日、知人の元朝日新聞記者が
開講している朝日カルチャーセンターの「江戸時代人講座」望年会に
呼ばれました。受付順位が47番目、これは縁起がいいなーと(笑い)。
その場でスピーチをすることになったので、以下のような話を。
「私が若いころから日本の男性は男というだけで威張っていて、
職場で女は男の2倍働いて、ようやく一人前に扱ってもらえました。
にも関わらず、最近の男たちの不甲斐なさには落胆するばかり。
上に立つ人の覚悟が薄いのです。私は大石内蔵助一番だから敢えて
申し上げたいのですが、政治家も役人も大企業の社長も、大きな
権限と責任を持つ立場の男性は、大石のように切腹を覚悟でことに
あたっていただきたい!」。
一瞬会場が静まり返り、直後に大きな拍手が沸き起こりました。
先頭きって拍手をくれたのは私と同世代以上の熟女たちでした(笑い)。
朝日新聞の中江元社長や、早稲田のお偉い先生も聞いておられ、
「元気が出るスピーチでしたねー」と、挑戦なのに紳士的!(苦笑)
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