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結成メンバー
の内山田洋と
クールファイブ






  映画「あなたへ」で高倉健さんは富山から長崎の平戸に辿り着きましたね・・・。
歌も人生と同じように、様々な人の想いが絡まり紆余曲折の旅をしているみたい
ですが、特に長崎と聞くと・・・・

 いつも思い出すのは1969年の大ヒット曲「長崎は今日も雨だった」ですね~
ー実に43年前に誕生した国民的愛唱歌ですが、私にとっても内山田洋さんの
思い出とともに特別な感慨がつまった歌なんですよ~

 今から15年前の1997年6月26日、東京湾の晴海埠頭から大型客船に乗り込ん
で香港に向かいました。6月30日の中国返還が目前に迫っていた時です・・・。
 6月30日の早朝に香港に着く予定で、英領最後のなごりを惜しみ、深夜0時に
英国旗のユニオンジャックが降りる歴史の瞬間をこの目で見たいなぁと。
 3日目に大型の台風が船を襲い、怪我人が出たりの事態になったのですが、
それはともあれ、船にはエンターティナーとして「内山田洋とクールファイブ」が乗船
しており、舞台で数々のヒット曲を聴かせてくれました。

 リーダーの内山田さんは演奏の冒頭でこんな話をしました。
「前川清が家出をしてから、もう10年になります・・・・。今も帰りを待ち続けています
が、まだ戻っておりません・・・」 寂しそうな表情でしたね~

 
 ご存じこのグループは元々は長崎市内のキャバレー「銀馬車」の専属バンドで、
そこに佐世保のナイトクラブで歌っていた前川清がメインボーカルとして加わり、
1969年に「長崎は今日も雨だった」でメジャーデビューをしています。
 12月には日本レコード大賞新人賞、そして紅白歌合戦に初出場とトントン拍子で
有名になったのですが、1987年に前川清が脱退してから、オリジナルメンバーが
一人二人と去っていき、香港に向かう船で歌っていたのは戻ってきた小林正樹さん
(写真⇒内山田さんの右後ろ)以外は、新しく加わった若者たちでした。

<船内で内山田洋さんに聞いた話>

 メジャーデビューをすることになったとはいえ、長崎では貧乏暮らしをしていた
から、6人で寝台特急さくらに乗って2日がかりで東京に向い、着いた先の借家は
雑魚寝をする狭い部屋でした。最初は食べ物にも苦労していました・・・。

 でも、「長崎は今日も雨だった」が爆発的に売れて大ヒットし、仕事に追われ
る一方、サラリーマンの初任給が3万円位の時代に、毎月、1人が100万円もの
大金を手にするようになると、自分たちの暮らしは狂い始めた気がします・・・。

 今思い出すだけで恥ずかしくなるような経験をして目が覚めましたが・・・。
雑誌の企画で、作家の五木寛之さんと対談することになり、港区の芝公園に
ある東京プリンスホテルに向かいました。
 私たちはあの有名な作家と対談するんだと格好つけて、派手な大型のアメ車
に(もちろん運転手付きで)ふんぞり返るように乗り着けました。

 しばらくお待ちくださいと言われ、外が見える場所で待っていると、
そこへ五木寛之さんが一人で車を運転して入ってきたのです。小さな車でした。
初めて自分の頭を殴られた思いがしたものです・・・・。

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 絶好調だったにも関わらず、このグループは人が変わり漂流し低迷していく。
内山田さんは様々な自戒を込めて、この話をしたのだろうなぁと思いますね~

9年後の2006年11月に内山田さんは70歳で亡くなっています。
(前川清が「家出」をしてから19年の歳月が流れ、最期まで会えなかったとか)

 けれど、その年の紅白歌合戦は前川清の呼びかけで、内山田さんの追悼の
ため、オリジナルメンバーが集結して「長崎は今日も雨だった」を歌いましたね。

 私はNHKのテレビに映る内山田さんの遺影に向かい「内山田さん、ようやく
前川さんも昔の仲間も
帰ってくれましたね~」と呼びかけました。

  本当はもう少し早く、ボスが生きているうちに歌ってほしかったけど、人は何か
の犠牲を払ってから、気が付くことが多いものでしょうね。
 (多くのメンバーは苦労をしながら生活をつないできたみたいです・・・)


<あの時、香港に向かう船の中で>
 
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 一時は覚悟をしたような大地震級の台風が過ぎ去った29日の夜、
内山田洋とクールファイブが乗客を集めて、歌のコンテストを開きました。

 まだ若く余力があった私は手を上げて40名程の中に参加し、バンド
演奏での持ち歌は、十八番の加藤登紀子『百万本のバラ』・・・。
 小林正樹さん(オリジナルメンバー)の審査で、予想外にも準優勝(2位)
でした。小林さんの評によると、「歌合格、衣装OK,そして僕のタイプ」と
いうもので(笑い)、そもそも優勝は真っ赤なスカートをはいたより若い女性
だったので、かなり怪しい審査ですけどね~(笑い)
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香港返還の瞬間ですか?
 台風の影響で船が入港したのは30日夜の7時過ぎ。街はカウントダウン
に入っていました。7月1日の午前零時、至る所でユニオンジャックが降りて、
中国の赤い旗がするすると揚った時、私は心の中で「さよなら香港!!」
と叫びながら、悲恋歌「百万本のバラ」を口ずさみました・・・・。
 直接には見えなかったのですが、返還の午前零時に中国の人民解放軍
が入ってきました。自由の象徴・英領香港が終わりを告げた瞬間です。
(国の統治が変わるのは、国旗と軍隊からということですね・・・)

 時折、テレビの歌番組で前川清を真中に小林さんが登場するつど、
「元気で歌い続けてくださいね・・・」と今も祈るような思いで聴いています。