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  2001年9月
  パリ郊外で
  二人の宴会




今日は9月11日。
 2001年の「9.11 アメリカ同時多発テロ事件」から、早くも11年の歳月

が流れましたが、NYの世界貿易センタービルの北棟と南棟が相次いで
飛行機に突っ込まれたあの場面は、今も鮮明に焼きついていますよね~
(改めて犠牲となられた3000人のご冥福をお祈りいたします・・・)


 事件のことに関連して、私には忘れがたい思い出があります。
予め、その10日後から、友人の悠紀子ちゃんと、フランスとイタリアの旅に
出る計画でツアーを申し込んでありました。

 9.11に世界中が凍りついた直後なので何せ飛行機が恐ろしくて、普通は
国内便も、ましてや海外なんて総キャンセルの時でしたよね・・・。
 どうしようか・・・なんて思っているうちに大手の旅行会社から電話があり、
「お二人を除いて皆さんキャンセルされましたので、ツアーは中止したいので
すがよろしいでしょうか?」と。

 家族も当然止めるだろうと思っていたようですが、普段は東京芸大の付属
高校でピアノを教え、自宅でも全国から受験の指導を求めてやってくる
受験生のレッスンプロだった悠紀子ちゃんは、「せっかく休みがとれたんだし、
次はいつ行けるかわからないんだから、絶対止めたくないよ~」。

 旅行会社から数回に及ぶ中止協力を求められたけど、最後まで「行きます」
を押し通して、とうとう2名だけのツアーが出発することに・・・。
2人の合言葉は「ビン・ラディンを捕まえに行こう!」でした(苦笑)。

 人影のない成田空港からガラガラの飛行機に乗り、2名の客に添乗員が
付いて、フランスでもイタリアでも大型の豪華バスには、ドライバーと現地の
ガイドと添乗員を入れると、お客2名よりスタッフの方が多い旅でしたね。
 空港を中心に世界中が厳戒態勢に入り、セキュリティが非常に厳しくなって
いたから旅行客には安心感があり、観光地も混雑がなくて悠々でした。

(ただし、帰国後に聞いた話では、外務省と大手旅行会社との情報交換の場
で断固キャンセルしないと言い張る旅行客がいて、大赤字でしたと話題にな
ったらしいです・笑い)

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    イタリアのレストラン
    でまたワインです・・






 

 冒頭の記事で「最善を尽くし一流に生きた・・」と過去形で書いたのは
10ケ月後の2002年7月13日に悠紀子ちゃんは急逝したからです。

 ご夫君が長い官僚生活を終えて、国の要職への就任が決まった記念
に、数年ぶりの家族旅行でフランス・スペインに出かけた帰路・・・、
パリ発の全日空機でシベリア上空を飛行中、急性心不全を起こし機内
で亡くなりました。
 
 音楽とピアノをこよなく愛し、若者が大好きでしたね~
東京芸大では安川加寿子さんのお弟子さんだったと聞いていますし、
小学校から東洋英和という深窓のお嬢さまながら、華やかなステージで
自ら演奏する道でなく、ピアニスト育成のために教師であり続け、更に
受験指導という地味で手間暇がかかる原石研磨の役割まで引き受けて、
全力投球をしていたのだと思います。

 大学や高校で教え帰宅した後は、夜まで受験生のレッスンをし、土日は
遠方から飛行機で駆けつける生徒もいて、年中休みなしが永年続いて
いたようです・・・。
 その合間に認知症らしきお母さまを介護し、家族の食事を作っていたの
だから、ホント、スーパーウーマンでしたね。

<最善を尽くせ、そして一流であれ>

 時折訪れる山梨県清里で「清里の父」と呼ばれるポール・ラュシュが残した
言葉に 「最善を尽くせ、そして一流であれ」 があります。

 Do your best and it must be first class

 悠紀子ちゃんはこの言葉に相応しい人生を凝縮して走り、一区切りの旅を
終えた時、神が十分頑張ったねと天に召したのでしょうか・・・。

<帰ってきたら又飲もうね・・から10年>

 私との共通点はお酒が良きストレス解消でもあり、それも女性には珍しく
豪快で楽しいお酒でした。
飲みっぷりでは私のボスだったかな~ 
それで、時折私は悠紀子ちゃん
の自宅に出張コックをして、その日の宴会はご夫君共々深夜まで・・・。

 2002年7月1日、彼女が家族とヨーロッパに出発する前日に電話で話し
「帰ってきたら又飲もうね」という約束だったのに、突然キャンセルされて
しまいました・・・。
 あれから10年経ちましたが、私は今でも彼女の「おーい、元気かな?」
という電話を待ち続けています。