熟女はご意見番

2011年12月

華やぐ都心でMerry Christmas ! 

DSCF0191
2011年のクリスマスイヴ・・・
有楽町駅前の交通会館も
ご覧のようにデコレーション
され眩いばかり。
東京の都心が最も華やぐ
日です・・・。









 イヴの今夜、有楽町・銀座界隈は20代のカップルであふれ、
意外と子ども連れの若い夫婦も多いですね。
 christmasはキリストのミサを意味し、ご存じのように12月
25日はイエスキリストの誕生を祝うキリスト教の祭日ですが、
日本人は宗教とは無関係に何でも楽しんでしまうお気楽な
国民のようですね(笑い)。

 でもお遊びのXmasは中高年になると退屈です。
子どもが小さいうちはツリーを飾り、プレゼントを用意し、
ケーキをいただくなど大事な家族行事の一つですが、
遊びの対象がいなくなると、クリスチャンでない限りは
真面目な顔でケーキを買うにも苦笑してしまうので、
毎年お暇な知人友人を集めて宴会をすることが多い
ですねー(笑い)。


DSCF0182
















 イヴに私が向かうのは帝国ホテルのロビーです。
今年も早稲田大学グリークラブと慶應義塾大学ワグネルソサイアティ
(いずれも男声合唱団)が80名でクリスマスソングを歌いました。
若い艶のある声がロビーに響くと、気持ちが敬虔になりますね。
 普段のロビーは話し声の輪が広がっているのに、今宵は静かに
若者の歌に聴き入って、大人の静寂がおしゃれでした。

DSCF0186















座って歌を聴くには、ラウンジで飲み物をいただくのですが、
写真のように満席で、周囲の立ち見も身動きとれず・・。
この写真は2階のベランダ席から撮ったものです。

ちなみに学生たちは午後4時と6時の2回、30分のステージに立ち、
ホテルからはギャラと軽食が出されるとのことで、長年の恒例行事
ですが、多分ホテルは百万円近い予算を使っているのかな?

Merry Christmas !

皆さまは今宵をいかがお過ごしですか?

あの日の北朝鮮、一縷の希望

DSCF0163 北朝鮮は12月17日、金正日総書記
の逝去と三男正恩氏へのバトン移管
により新たな不安と期待とで、世界を
にぎわしていますねー。

 今から13年前になりますが、NGO
グローバル レインボーシップのメンバ
ーとして98年4月30日から1週間、
平壌に滞在し、子供たちにお米、ミル
ク、文房具スポーツ用品等を配布する
ことで、幼児施設や学校を中心に様々
な関係者と交流してきました。



(五味武さんを団長に、難民救済に熱心な俳優の藤岡弘さん、ロック歌手の
ジョー山中さん、歌手の喜納昌吉さんも一緒に14名で訪朝)

 当時はまだ拉致問題が表面化する前でしたが、名古屋空港の隅に降り立った
高麗航空の飛行機を見た時、無事帰国できるかなという恐怖を感じたことを今で
も覚えています・・・。それでも平壌に着くと政府関係者は手厚く出迎えてくれたし、
市内の中心にある高麗ホテル(小泉総理の訪朝時滞在し、横田めぐみさんの娘
 キムヘギョンさんなどがインタビューに応じたホテル)で、不自由なく過ごせたた
め不安感は払拭されましたが・・・。

DSCF0166
 平壌は北朝鮮というイメージとは別に美しい街でした。
緑が豊かでゴミ一つ落ちていないし、国民は相当な
制約を受けているせいかグレテイル者はいない・・。
 街中を走る車はVIPしか乗らないらしく、交通量は少な
くベンツが圧倒的。交通事故はめったにない筈ですが
 
 また、地下鉄が便利でしたが駅構内はシャンデリアや
壁画で飾られ、聞けばロシア流の装飾とか。首都は
表の顔なので、相当予算をかけて選ばれた人が住んで
いる印象を受けました。きっと地方には外国人に見せたくない貧しい層がいて、今も食料難にあえいでいるのでしょうが、少なくとも我々は案内してもらえませんでした。



 

DSCF0164
 平壌市内で朝の通勤風景。
 共働きが普通で女性も外勤。 
 大人は全員が左胸に金日成
 バッチをつけている。(身分や
 階層により種類が異なる)
 
 ダメ元で政府関係者にバッチ
 をいただけないかと申し出たが、
 一笑に付されました(苦笑)。








DSCF0165
 平壌から2時間くらい高速道路で走り郊外に
出てみると別の風景が広がっている。
日本の農山村に似てあまり人の影は見当たら
ないが、日本人の思惑とは別に人々の暮らし
が確かに営まれていることを感じました。
 他方、地方に行くと小高い山の頂上には、
韓国に向けたトーチカ(大砲台)が多数あり、
ああ、朝鮮半島は休戦状態とはいえ戦争が
終わっていないのだと・・・。









DSCF0175 

















 
DSCF0176



















どこの国に行こうが、その国の将軍さまが拉致を指示したことへの
嫌悪感があろうが、子どもたちの笑顔は文句なく可愛いですね。
 10ヶ所以上の学童施設に食料や文具、遊具類を贈呈したのですが、
いつも子供たちが遊戯や歌で感謝を表してくれました。
子どもはいつでも希望の星・・。今も元気でいてくれますように。



DSCF0172 平壌市内の中学校を訪問して、主に運動具などを
贈り子供たちを励ました。北朝鮮の義務教育は17歳までの11年で日本より長く、すべて無料。
 生徒も選ばれているのであろうし、少年宮で英才
教育を受けているのか、歓迎の演奏会ではセミプロ
級の美少女たちが登場して、バンドの伴奏で歌や踊りを披露してくれた。その昔(日中国交回復後に)
中国で見たと同じカルチャーを感じたものです。




 
              




DSCF0174
 

 












 歓迎会の返礼は主にこのお三方が。ジョー山中さんはロック調で「赤とんぼ」を、
喜納昌吉さんはいつも「花」を歌いました。藤岡弘さんは中学などでは武芸を披露。
藤岡さんが二次会のカラオケで歌う「夜霧よ今夜もありがとう」や「昴」は絶品でした
が公の場ではプロの歌手二人に遠慮がち。
HANAは朝鮮語で「一つ」の意味と喜納さんから聞きました。彼は半島統一を
 願って歌っていたようで、「すべての武器を楽器に」と何度も口にしていました。

(惜しくもジョーさんは今年逝去されました。南米やフィリピンなど、ボランティアを
 何度もご一緒しましたが、いつも本気の繊細な人でした。楽しい歌をありがとう!
 ご冥福をお祈りします)


<今だから語れる北朝鮮での裏話>

 訪朝した時に撮影したビデオは、政府が撮ってくれたもの、ジョー山中さんが
帰国後編集して分けてくださったもの、個人的に映したものなど、3本手元に
残りましたが、当時の珍しい映像をメディアに提供する気にはなれませんでした。
テレビや映画を活動の舞台とする俳優の藤岡さんや、ジョーさん、喜納さんなど
も同じ感覚だったのではという気がします。(今はもう北のいろいろな映像が日
常化しているので恐れは消えましたが・・・)

 私たちの1週間の滞在中北朝鮮の外務省側からずっとアテンドしてくれた政府
関係者がいました。唯一名刺をいただいた外交官ですが、表向きにはガイド
さん的な役割が中心で、流ちょうな日本語を話すジェントルマン(当時40代前半)。
 ある種の監視役もかねていたのでしょうから、二次会でのカラオケも一緒で、
デュエットもしたし、思い思いに歌った時あまりに上手なので、日本に留学をした
経験などを質問したら、東京には数回出張で行き来しているとのことでした。
(中央図書館を訪問した際も、日本と較べ数倍情報収集をしていると実感)

 で、私たちが帰国する前夜、サーカスを見てから食事をし、感謝を伝えている
時に、一瞬彼の眼から涙が流れました。えっ、その涙の意味は・・・?
 私には「皆さんが帰国する日本は自由でいいなー、北朝鮮もいつかは改革開放
をして国民がもっと明るく暮らせるようにしたい。羨ましいな、明日から又辛いよな」
・・・様々な会話で人柄も感じ、表情からもそれしか理由は見当たりませんでした。

 だから、彼の涙は今も北朝鮮に向けた私の「一縷の希望」です。

(後日談ですが、帰国後数年を経て彼が日本と北朝鮮の国交正常化大使に
なったことをTVで知りました。現在の役職は不明ですが、この機に又両国の橋渡し
役となり、拉致被害者の解決に率先尽力してほしいと心から願っています)

<NGO活動の舞台裏では>

DSCF0177
 
 NGOで訪朝し、施設や学校に物資を配布した舞台裏は毎晩
遅くまで仕分けや荷造りに追われました。
そんな時、一番頼りになったのは藤岡弘さん。武闘家であり、
身体も大きく、しかもアクションスターの出だから、作業が早くて
いつも中心になって力仕事をしてくれました。時折テレビで見る
活躍は嬉しいですよー。
 

大石内蔵助の覚悟は今いずこ

DSCF0139 元禄15年(1702年)12月14日、ご存じ
赤穂浪士が主君 浅野内匠頭の仇・・
吉良上野介の御首級頂戴のため討ち
入りをしてから309年・・・。
 今年の14日も泉岳寺では義士祭が
開催されて、大石内蔵助以下47人が
眠る境内には私を含め3万数千人が
お参りをしたとお寺から聞いています。
※現役の天皇誕生日に参拝するのは
  2011 年12月 23日で25.000人。
討入から300年以上を経てもなお、
毎年3万4万もの日本人が大挙して
墓参をする超VIPは、他に存在してい
ないのではと思いますが、その絶対的
な人気はどこにあるのでしょうか?



 元禄14年(1701年)3月14日、播州赤穂(現在の兵庫県赤穂市)藩主(大名)だった
浅野内匠頭長矩(35歳)が、江戸城松之廊下で吉良上野介に対する刃傷事件を起し、
即日切腹、お家断絶を受けて1年9ケ月。大石内蔵助(45歳)たち家臣は、男の命と
意地をかけて吉良の首を打ち取り、切腹して果てた「赤穂事件」・・・。
 敵討ちですが、幕府の家臣を集団で殺害することは、今の日本の刑法に照らすと
テロともいえる重罪ですよね。(記録では、吉良の側近が15名死亡、13名が負傷した)
 敢えて罪名をつけると、殺人予備、凶器準備集合、住居侵入、器物損壊、殺人、
傷害致死、暴行、傷害といったところでしょうか。いわば天下騒乱の大罪人です。
  
 最終的には江戸幕府(5代将軍徳川綱吉)は、江戸町民の世論を踏まえながらも
「義は私であり、法は公である」・・いわば法治主義の理念にのっとり(それでも打首
などの処刑ではなく)泉岳寺近隣の大名屋敷で切腹をさせたのですが、生命をかけ
て果てた潔さが300年以上にわたる永遠化につながったのかなと思います。
DSCF0127

 それにしても今の日本、
忠臣蔵で見せた男の武士道精神と覚悟はどこへ消えたのか?!

 少なくとも、国の最高権力を握る大臣級以上の政治家や、官僚の総責任者、東京電力のように一つ間違えば大勢の命や財産、健康を奪う重責をもつ企業のトップが我が身可愛さで目先の利害得失に走り、まともな責任を取らずしてどうするのですか?
 権力の座に座る者は、ことあらば生命と財産を投げ打つ覚悟をもってほしい。
権力と責任は併せもつもの。今のトップは覚悟をもたず責任の取り方も軽すぎると思いませんか?

                               

DSCF0146










(12月14日の泉岳寺、赤穂浪士に線香の煙が充満)


 
<大石内蔵助のリーダーシップ>
  
  総指揮者 大石のリーダーシップは現代にも通用するもので
  緻密な計画を立て1年9ケ月で成就した戦略戦術は見事な
  ものであった。(以下、文献から主なものをポイントで抜粋)

  ①主君浅野内匠頭の切腹を知った直後から自らの死を覚悟し、
   敵討ちを前提に、大義名分と江戸市民の世論を考えていた。
  ②浅野家断絶、城の明け渡しに伴い、家臣に残余財産の分配
   をしたが、自分は辞退し下禄の者に厚い配慮をした。
  ③罪累が親族に及ばないように、妻子との離別、親族との義絶。
  ④大願成就のために緻密な脚本・作戦書を作成した。
  ⑤機密保持をしながら、節目節目で会合をもち、説明、議論、
   意思の確認など。仲間の結束を固めるために署名・血判書も。
  ⑥吉良の行動スケジュールや屋敷の絵図面など、情報収集。
  ⑦直前の実行計画、役割分担、武器・武具の調達、
  ⑧瑤泉院(浅野夫人)からの資金援助会計管理と報告書
  ⑨討入り後の幕府への報告書(口上書)事前準備
  ⑩討入り直前、浪士全員に「人々心得」(集合、配置、戦い方
    照明、敵対、相互連絡、吉良首の処置、引き上げ、負傷処置
    追手対処、近隣挨拶、泉岳寺への行進、目付に出頭・自首)

   
  なお、幕府から江戸の町民に至るまで、「武士とはかくあるものか」
 の手本を示されたと受け止めていたようだ。
  また、⑨の口上書を呼んだ時の将軍綱吉は赤穂浪士に同情的で
 あったとされる。
  更に大衆は赤穂浪士の壮挙を絶賛し、かわら版も「江戸中の手柄」
 と書き立てたという趣旨の記録があると聞く。

 
※大石内蔵助びいきの私は、過去それなりに文献も読んできましたが、
  今回は加藤廣の「謎手本忠臣蔵」上中下(約 980ページ・新潮文庫)
  を参考にしております。

<後日談ですが・・・>

  14日に泉岳寺にお参りをした後の17日、知人の元朝日新聞記者が
 開講している朝日カルチャーセンターの「江戸時代人講座」望年会に
 呼ばれました。受付順位が47番目、これは縁起がいいなーと(笑い)。

  その場でスピーチをすることになったので、以下のような話を。
 「私が若いころから日本の男性は男というだけで威張っていて、
 職場で女は男の2倍働いて、ようやく一人前に扱ってもらえました。
 にも関わらず、最近の男たちの不甲斐なさには落胆するばかり。
 上に立つ人の覚悟が薄いのです。私は大石内蔵助一番だから敢えて
 申し上げたいのですが、政治家も役人も大企業の社長も、大きな
 権限と責任を持つ立場の男性は、大石のように切腹を覚悟でことに
 あたっていただきたい!」。

  一瞬会場が静まり返り、直後に大きな拍手が沸き起こりました。
 先頭きって拍手をくれたのは私と同世代以上の熟女たちでした(笑い)。
 朝日新聞の中江元社長や、早稲田のお偉い先生も聞いておられ、
 「元気が出るスピーチでしたねー」と、挑戦なのに紳士的!(苦笑)


Tea Partyと行動する若者たち

DSCF0154DSCF0156













  アメリカの「Tea Party 」を耳にしご存じの方は多いと思いますが、
今や全米で100万人以上の会員を持つ保守派の運動グループで
「大きな政府」※1に抗議し、2010年11月の中間選挙では共和党が
躍進する原動力になって注目されていますよね。
 Tea Party(いわば茶会)というネーミングは,独立戦争前の
1773年12月16日にボストン湾で起きた「ボストン茶会事件」※2
(写真左)に由来するものですが、TEAは Taxed Enough Already
(税金はもうたくさんだ)の頭字語とも掛け合わせているとか。

 そんな団体の創設者の一人といわれるケリー・カレンダー女史が
初来日して、目的、現状や日本に向けてのメッセージを伝えるべく
12月17日、市ヶ谷で講演をしました。(写真右)

<カレンダー女史・話のポイント>
 ①活動を2009年2月から始めたが、ソーシャルメディアを駆使して
   1年以内に100万人の集会を開けるようになった。
 ②ボストン茶会事件と同じく「自己責任と自由」のために行動している。
   国民が声を上げない限りは政府は増税の方向に持っていくのだから
   メッセージを発信する責任は国民にある。どう教育するかが重要だ。
 ③税率を含めてルールを誰が決めるべきか。政府に任せるのではなく
   本来は国民が決めることだ。
 ④増税をすると国の元気がなくなっていくし、税収減もありうる。
  また、政府(の権力)がどんどん大きくなっていくだろう。
 ⑤メディアは100万人が集まっても1万人としか書かない。自分たちで
   newsをつくり、管理し、手紙を新聞に送り、原稿の内容を記者に
   任せない方針をとっている。
 

 ※1「大きな政府」 big government
      政府の市場介入を強化し、政府・行政の規模や権限を拡大して
   社会の平等や均等、高福祉を図ろうとするもので、政府の財政
   支出が増えるため、国民の負担率も高くなる。日本型社会主義も
   この範疇に入るとされている。            これに対して
   「小さな政府」 limited government は政府の市場介入を最小限
   にし、政府・行政の規模や権限を可能な限り小さくしようとする思想
   (アダムスミスの自由主義)で、低い課税、低福祉・低負担とともに、
   自己責任を志向する。(Tea Partyは小さな政府論に立脚する)

 ※2「ボストン茶会事件」
   アメリカが英国の植民地だった時代に、イギリス本国の政策に憤慨した
   急進派が、ボストン湾に停泊中のイギリス船に侵入し、東インド会社の
   船荷の紅茶を湾に投棄したアメリカ独立革命前の象徴的な事件。 
 
   

 <別行動を始めた東京の若者たち>
   ここで注目すべき話に転じますが、市ヶ谷での講演会の主催者は、
  米国tea partyと連携して日本版を開設したまだ30歳の若者であり、
  私にとっては7,8年来、地域主権をテーマとする優秀な研究仲間です。
  彼は早大生の頃からNPOをつくって社会的な活動を起こし、あの東国原
  さんが、宮崎県知事に立候補した時、20代半ばでマニフェストを作成して
  選挙参謀を務めるなど、学部の卒業直後から人に給料をもらうことなく
  自賄いで、今や私の収入より遥かに稼ぎはよろしいいのでは?(笑い)

   で、上記講演会の参加者(100名弱)のうち7~80%は現役学生を含む
  20代中心の若者でした。前々から日本版が活動を始めており、私も時折
  見学的に応援してきましたが、いつも大多数は2,30代に占められていて、
  また、東大の学生・OBなど一流大学から官僚・一流企業への就職という
  路線を選択しない「自営エリート」が静かに行動を始めていますね・・・。

   2011年の春、地元の区議選に出る知人の若者支援のため、事務所開
  きに駆けつけたら、自宅兼事務所が玄関迄東大早慶の現役学生を中心
  に20代で埋め尽くされていたことに驚きました。(私はかなり場違い・苦笑)
  いわばソーシャルネットワークで初対面の人々も応援にやってきて、その
  彼は初挑戦で無事に当選しましたが。
  「今の若いもんは・・」とつい、言いたくなる場面もあるでしょうが、優秀で
  ジェントルでパワフルな若者が育っている確かな印象を受けています・・・。



東京アメリカンクラブで粋なXmas

DSCF0100(バンドが入った会場で)
                
 遊び仲間のお誘いで建て替えられた「東京アメリカンクラブ」に出かけ
てきました。別世界といわれる場所がどんなところかの探検隊ですね・・・。
 ここは外務省が所管する特例社団法人の会員制社交クラブですが、
元々は1928年(昭和3年)に在日アメリカ人と日本人の社交の場として
つくられ1941年の太平洋戦争で一旦閉鎖。
戦後再興されて現在の名誉会長はアメリカのルース駐日大使です。

 クラブハウスが今の港区麻布台に建設されたのは1975年(昭和50年)
ですが、2007年から3年がかりで新クラブハウスに再建されました。
アメリカ人や日本人の他52ケ国から約4000名近くが会員になっている
ようで日本人の割合は40%前後とか。(入会金は300万円と聞きました)
建て替え費用には120億円をかけたそうで、7軒のレストランやバーの
ほか宴会場、プール、ジム、ボウリング場、図書館などを備えています。

 12日のXmasパーティはこのクラブが主催したものではなく、私が時折
参加している勉強会の主力メンバーがこのクラブの会員であるそうで、
彼を名義人に5、60名の集まりでしたが、運営や食事を含めたサービス
はアメリカンクラブ的流儀なのか、好感度よく食事もgoodでした。

 スマートだったのは(日本人はとかく知り合いで固まりがちですが)、
初対面の参加者を引き合わせて見知らぬ同士が気楽におしゃべりでき
るような設営と雰囲気作りは粋で洗練されていましたねー。
 男女別に向き合う二重の円陣を組んで、それぞれを左右に動かせ、
時折ストップさせて目の前の人と自己紹介をしたり、名刺交換をする。
あるいはスタッフが壁の花に声をかけてきてダンスにうまく誘導するなど。
私もおしゃべりに熱中していたら、ダンスに連れ出されました。
あら、合コンみたいといえば少々それ風ですけどね(笑い)。

 テレビで時折お見かけした国際機関で活躍する著名なドクターや
若い世代の女性達ともお話できて、グラスを片手にこの国を何とかする
にはどうしましょう、今後は協力しあいましょうなんて遊びながらも政治
や文化を語るのはいかにもアメリカ的かな・・・(笑い)。
 まあ、今回も楽しい宴会でしたが、行けば何かと発見がありますものね、
お声がかかったら「金魚の何某」だろうが、あり難くはせ参じますよ~。


プロフィール