熟女はご意見番

2012年03月

92歳まで現役の小篠綾子

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NHKの朝ドラで
主人公の糸子を
演じた尾野真千子


 半年間放映されたNHKの「カーネーション」が3月31日(土)で終了しましたね。
ファッションデザイナーの小篠綾子さんの生涯を描いたもので、個性的な3人の
デザイナー コシノヒロコ、ジュンコ、ミチコの姉妹を育てたお母さんでも有名。

 1913年(大正2年)、兵庫県で呉服屋の長女に生まれ、2006年(平成18年)に
92歳で逝去するまで現役のデザイナーだったということは驚きで感動!
私の母よりも1歳上ですが、戦争を挟んだあの時代は、良妻賢母が求められ、
女性にとってどれ程の制約をもたらしていたかは、想像できるからです・・・。

 先日NHKのテレビでヒロコさんが出演していましたが、あのストーリーはほぼ
真実に近いようで、子どもは放任状態にして仕事を優先し、強烈なキャラクターで
自分を貫いたらしい。
 それでも子どもはグレもせずに、3人ともに母親の仕事を継いで、たくさんの業績
を残し、今3人の姉妹ともに70代(75歳、 73 歳、 70歳)だけど勿論バリバリ。
みんな、誰にも遠慮のない人生を生きてきて、「私の人生、私のものよ」の典型で
すね。何よりも母親ー小篠綾子の生きることへの執念を感じるのです。

 大阪の岸和田に移って入学した女学校を経済的な理由もあって中退した後、
パッチ屋や、紳士服店、生地店と、転々としながら腕を磨き、
1934年(昭和9年)、21歳の時にミシン1台で洋装店を開業。昼間は仕事を探して
御用聞きに回り、縫い物は何でも受けて深夜まで働いたとか。
 その年に結婚してのち子供を産むも、夫は戦地に行って2度と還らず。
3人の娘を女一人で育てた迫力は、子どものDNAに永久伝達されるのですねー。
 まあ、3人の母となってからも年下の妻子ある仕立て職人と同棲したそうですが、
時代を考えるとあまりにぶっ飛んでいて、びっくりですよ~。
さぞや非難ごうごうだったでしょうが、これも自分の生き様としておよそ20年?!
(私には到底できないので 脱帽ですよ~)

 ※「パッチ」は岸和田での「だんじり」用の
  モモヒキのこと
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 右は晩年の糸子を演じた夏木マリ。
 大半の衣装は綾子の服を使用した。

 60歳を超えてからテレビのトーク番組に出演したり、講演活動をし、
何と74歳で「アヤコ コシノ」ブランドを作ったことは、年齢を超えた
勇気をもらえませんか?!
(TVで聞いたコシノヒロコさんの話によると、3人の娘のデザインを
 コピーし模倣状態に近かったらしいですが・笑い)

 日本の女性は50代の頃から「もう歳だから」と言う人が多くなり、
60歳を過ぎると大半がご隠居さんモードです(苦笑)。
そして生き甲斐は孫か猫か犬としたら人生ホント勿体ないですよ~

 自分で自分に年齢制限を付けるのは自由でしょうが、モグラ叩きの
ように、平均的でない価値観をもつ人にプレッシャーをかけてくる
農耕民族系の女性には(辛抱強い?)私も苦労してきました(笑い)。
 「私は善人」という顔で表舞台では何も言わず(何も行動せず)
微笑んでいるだけのおばさんが一番怖いです!(苦笑)

 葬式の席で「妻は、彼女は良い人でした」とお褒めの言葉をもらって
も、しょうがないよねー。 たった一度の人生、70代からでもチャレンジ
して、最期に「ああ、面白かった!」と言えるようにしたいなー。
このドラマを観て、ますます歳を忘れて人生を堪能しようと思いました。
(笑い)





   

                                 

銀座のユニクロ本店へ行く

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 3月に銀座の松坂屋の前に最大規模という本店をオープンしてから2週間。
行列はかなり解消されましたが、まだまだ店内は混雑しています。

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  駅前にあるユニクロと較べると種類が豊富になり、色もたくさん
選べるし、何といっても1着1000円くらいの価格だから、人を呼び
寄せる引力はありますよねー。若い人や子ども連れがゾロゾロ。

 ただやはりデザイン性や材質という点からいえば、まあね、家で
ゴロゴロしているか家事や近所歩きの衣類でしょうね・・・。
下着としてなら程良いかな。元々生地によれよれ感があるから。

 私もいわば「寝間着」として3着を購入しました。合計で3000円。
不思議なものでこれまでの感覚からは3分の1以下かなと思うので
すが、1980円という値段がついたものは「おお、高いなー」と引いて
しまう(苦笑)。 

 店員さんに聞いたら、この店の来店客は他の店舗に較べると
熟年の割合が多めだそうです。
 どんな人が多いかなとキョロキョロ見ていたのですが、やっぱ
日常的にユニクロを着ているごひいきの人が集まっている印象で、
銀座ではよく見かける「お洒落~!」とか、抜群のセンスの人は
踏み込んで来ないようで、安心しました!(苦笑)

 みんなが皆、格安の衣類に走ったら他の店は転んでしまいますよ。
(⇒倒産や失業が増えて、それは回りまわって税金の投入になり
 ツケは自分たちが背負うのですけどね)

「ユニクロ栄えて国滅ぶ」・・・今でもこれは真実だろうと思います・・・。

お洒落着は専門店で買い、ユニクロの目的は使い分けましょうよ!










昭和の暮しにタイムスリップ

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「昭和のくらし博物館」
大田区南久が原
2-26-19
(国の登録文化財)


  昭和26年に建てられた民家で、家族が平成8年までの45年間
住んでいたが無人となったため、戦後の庶民の暮らしを家財とととも
に映し出す場所として、長女の小泉和子さんが博物館として公開。
 ここでは四季に応じた展示や、生活史の講座が開かれるほか、
映画「三丁目の夕日」の撮影スタッフが取材に訪れるなど時代考証
の資料を提供しています。
 
 1,2階を合わせて18坪という狭い住宅に一家6人と賄い・洗濯付き
の下宿人も2名住んでいたとか。
 最初は水道もガスもなく「もらい井戸」から始まりお風呂は最後まで
銭湯でした。
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                                  たらいで洗濯をした時代がありましたね。
                                  井戸水で家族全員の洗濯は半日がかり。

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近くの学童保育クラブの小学生が来て、
駒を回していました。
「僕たち、面白い?」 「うん、面白いよ!」

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                               これは昭和30年代初期のシンガーミシン。
                               ミシンもご近所で貸し借りの対象だったとか。
                               子どもの洋服は母親の手つくりが普通でしたね。

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ちゃぶ台を囲むお茶の間が
家族団らんの舞台でした。
昭和20年から30年代には
孤食はあり得なかった・・・。



 小泉家のお母さんは大変物持ちが良い人で、家具の他、台所の鍋釜から
日常の雑貨、子どもの玩具に至るまで生活用品が残されています。
 現代のようなデザイン性は低いし、ゴテゴテした感じのものが多いのですが、
全体にほのぼの感が充満しているのです。手作り感でしょうか。

 この時代の暮らしぶりを真近に見て、自分の家庭を思い出すと、特に母親
の負担は早朝から深夜まで休みなしの重労働だったな~と思います。
 不便でモノのない時代だったけど、隣近所とも仲良くてなぜか面白かった! 
ただ、家事労働の重さを考えると、あの時代にはもう戻れないかな。

 家庭での負担はラクになりました。でも電化とともに役割も薄れて、何か
が失われていった。それぞれ自分が大事になり、責任感も軽くなった・・・。
みんなのためにという公共心のお手本が次第に薄れ、お手本があっても
家族や周囲の相互注目が消えていったとも言えるでしょうか。
 



東電の料金が 2.3倍に?

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最終講義での岸本哲也
教授
(早大大隈記念タワー)


 


3月24日(土)の午後、大学院で公共経済学の教鞭をとられてきた
岸本哲也教授のお別れ講義が行われ、早稲田の学生やOBばかりでなく、
母校(前職は神戸大学経済学部長)の教え子まで駆けつけて100人前後。

 当日のテーマは『理不尽の政治経済学』で、東京電力と原発事故に関わる
話を興味深く伺いました。(理不尽とは⇒道理に合わないこと

その中で講義された「電力料金の理不尽」という話によると、

①原発事故に関わる損害賠償、復興事業、第一原発処理、除染に要する
 費用を合わせると最低100 兆円以上とされ、 場合により 400兆円にもなる
 可能性があるなど、まだ正確なカウントができない程莫大な費用に。
 (ちなみに日本の一般会計年間予算は91兆円なので、実に膨大ですよね)

東電の売り上げは約5兆円(年)で、燃料や発電設備、維持費、人件費
 などを除いた利益は僅か(今は大赤字の筈)だから単独負担は不能。

③仮に値上げ増収でまかなうには、20年間の値上げ分だけで130%・・・
 つまり電力料金を20年間2.3倍にする
ことになり、10%や17%の値上げ
 をしたところで、到底追いつける話ではない。

④上の費用には廃炉までのコストは入っていないので、廃炉まで含めると
 更に40%の値上げが必要に
なる。

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⑤事故を起しておいて、電力料金の値上げは理不尽!

⑥だが、値上げをさせないとしたら、費用を誰が負担するのか?
 ⇒政府が補填する、つまり納税者負担ですが、
  九州電力の電気を使っている人が東京電力の費用を負担するのは
  これまた理不尽!
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 会場には電力会社の関係者はいませんでしたが、アメリカで類似の事業
に関わった人などが参加していて「電力の自由化」について意見交換。

①「電力の自由化は理不尽を生まないのか?」に関して
 アメリカは州の違いはあるにせよ、ほぼ自由市場であるが、
 安売競争をするためコストの削減をするので送電の安定性が損なわれ
 ることが多々あり、停電が起きやすいのだと。

②送電管への新規投資も止まるので、この点もリスキーのようです。

③あと、自由競争の結果、体力のある電力会社が独り勝ちすることもあり
 得るから、例えば日本全土を関西電力が押えることもありかなー。
 これでは独占が進んで、もっと強力な殿様が生まれるからやはり理不尽
 ですよねー。
 

<内緒の雑談ですけど・・・>

 岸本先生は神戸大学から早稲田に移って以来、東京に単身でお住まい
だったせいか、私の体重と較べても7割か8割にしか思えないほど、
お痩せになっています。「吹けばとぶよぉな~将棋の駒に♪~」ですね。
私も度々「もっと栄養つけてください。体重を半分お分けしたいですねー」
なんて申し上げたりしましたが・・・。

 後日このメールをご覧になった岸本先生からのコメントによりますと、
体型はご両親からの遺伝のようで、イチゴのショートケーキを3つ食べよう
が体重は不変だそうで 「燃費が極端に悪い体」とのことです・・・。 
私からすると「燃費が悪いなんて、羨ましい!」の一言ですよ~(笑い)

04年に院の植草一秀教授が辞めた影響の有無などは全く存じませんが、
先生は後任が見つからない中本当に頑張ってこられました。
長い間大変お疲れさまでございました! 

 胃腸が弱いらしく、ビールもお燗にして飲んでいるらしいですよ(笑い)。
この日も、「若者は『ビールは冷やして飲むもの』という常識から離れると
新しい発想が生まれますよ」と話しておいででしたが、ウーン??

 24日の最終講義の後、教員やゼミ生から花束が4つ5つ贈呈されました。
私ならボトルが良かったなー。花束は女優さんでも困るらしいですよ~。
うちはお隣が演歌歌手なので、時折余った花がまわってきます(苦笑)。



ANNUAL 四丁目の夕飯


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<我が家が若者の歌声Barになった話です>

 3月18日(日)、雨上りの肌寒い日でしたが、午後3時過ぎから都内の
某4丁目にある我が家の狭い庭がBBQ広場になりました。
開店早々の来客は早稲田大学グリークラブの現役・OBの若者たちです。
年に1度の恒例行事を当日のリーダーY.Kさんは「annual 四丁目の夕飯」
と後日名付けてくれました。
annual(毎年の)⇒alwaysではなくてゴメンナサイですね。

 当日も例年通り、実家が肉の卸業という近くの友人から牛の上ロース
(私もめったに味わえない高級品ですよ~) を4kg ほど調達してもらい、
炭火起こしからスタートしたのですが、何せ始まるやいなやのパックン、
パックンという食べっぷりは、サスガに豪快で若い! 
中間に豚の骨つきロースや鳥肉を入れ、野菜も用意して満腹感を演出し
ましたが、何を出そうが砂に水を撒いているのと同じですね・・・(笑い)。

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 夕方近くから、友人や料理仲間などの来客が増えて、手作りのお総菜、
手作りパンやデザートなど貴重な好物をたくさん持参いただきました。
いつも大勢の応援団に支えられて開催できることもこの会の特徴ですね。

 室内に入り、追加組のゲストには「すき焼き」、BBQ組は肉を卒業して
もらい、お総菜やお赤飯、焼きそばなどをというプログラムを組んであった
のですが、彼らの食欲はそれを許さず、この予想は甘かった!(笑い)
若者の胃袋にはパクパクパックンと果てしなく入るのですよー。

 そして、宴会の後半では早稲グリのオンステージに。
パートは程よく分けられていたようですが、ぶっつけ本番なので、多少の
ブレはあるにせよ、若さゆえの声の艶とパワーは聴き手を元気にしてくれ
うちの老猫も正座。(なごり雪、君といつまでも、斎太郎節、遥かな友に他)

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 大学の卒業式を控えた3月に「BBQと歌の宴会」を始めて、5年位に
なりますか。10年前からグリークラブのE.Oさん(当時外政マネージャー)
とのご縁ができて、歌が大好きな私はいわば「勝手応援団」をしてきました。
 私の母校、松本の高校の東京同窓会にゲスト出演してもらって以来、
我が家にグリー30名と友人30名が加わった04年12月のXmasパーティ
は、指揮者の小林研一郎さんや北川正恭さんが参加された豪華版でしたし、
グリーの超OBだった筑紫哲也さんの早大・お別れの会や1周忌への
ゲスト出演、外国人記者クラブでのコンサート、「歌声レストラン」のような
私の演出コンサートなど、数えきれない程の男声合唱を聴かせてもらい、
彼らの定期演奏会や東京6大学など、毎年のご招待も楽しんできました。

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                             友人のNY 帰りの子息や私のテニスのコーチ・慶応の
                             学生も加わり、ますます賑やかに。
                             (3時からの宴会が解散したのは夜の12時過ぎでした)



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 上の写真は1年前の3月26日ですが、3・11の直後とはいえ
指揮者の小林研一郎さん夫妻が演奏後かけつけてくださいました。
ご自分が福島県いわき市の出身で、故郷を失いボロボロの中を
大型のチャリティコンサートを予定してらしたコバケンさんへの応援
や決起集会もかねていましたが、彼のピアノの弾き語りは絶品で、
こちらが励まされましたね。


<ALWAYS とはいかないけれど>
 
 「annual 四丁目の夕飯」は、「暖かい心」とセットでいただいた感謝
の言葉で、「おお~」と嬉しかったのですが大きなヒントをもらいました。
できればmonthlyをめざして、まあね、毎回上ロースは無理だけど、
カレーやおにぎりや豚汁くらいの炊き出しならできるかなと・・・。

 「三丁目の夕日」の時代を生きてきた私の世代は、映画のごとく
隣近所で貧しさを分け合い、お節介をやき、励ましあって暮らしてきた。
モノはなかったけど「明日はきっと晴れるよー」と若者に希望が託され、
コミュニティで育て合いをして、子どもの眼がキラキラしていましたよね。
 今のご時世はその時代と較べてみると、本気で向き合う大人が少なく、
他人に無関心で、話すことにも臆病で、ITの進化で便利になった分、
人と人との距離がドンドン離れて、大半は蛸壺にいるロボットみたい。

 18日のように20代から60代までごちゃ混ぜに集まり、誰かの経験や
別世界を語りあい、食事や歌を楽しみながら交流できたことは、学校や
一般社会では得られない面白さが参加者全員にあったかな~。
 実は、若者から学ぶことも大きいし、未知の世界を探検するような楽し
さがあるのです・・・。こういう価値はお金で買えないものですよね~ 

(30年間、毎週日曜にテニスを続けているのですが、毎回の練習後は
慶応の学生コーチを囲んで仲間と食事をしながら、社会や政治経済、
会社経営や家庭生活などのおしゃべりをして、今までに 約1200回くらい
になりますか。そして2年に1度程の割で、次々学生を社会に送り出して
きたことは親心としてテニスを教わることプラスで嬉しいものですよ~)

<寺子屋「途中塾」をもう一度・・>

 08年まで、亡き筑紫哲也さんを塾長に仲間で塾を開いていたのですが、
ここ2,3年、あの寺子屋「途中塾」を復活したいなあとテキストを作成中
なので、若者を中心に、様々な分野で生きている大人とともに食卓を囲み
ながら交流し、学びあえる仕組みをつくれたら良いなあと思います。

 若い人を好み、滝廉太郎の子孫らしく音楽好きで、早稲グリで歌っていた
筑紫さんですが、『今の世の中、相当おかしくなってきたよねー』と年々気に
しながら世を去った彼に、不肖の弟子は天国で喜んでもらいたいからねぇ・・・。

 
 






 
 

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