熟女はご意見番

2012年05月

女優 岸惠子さんの心意気

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クロワッサン
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7月号から





 先日、行きつけの美容院で雑誌を読んでいた折に、
「美しい街で、美しく生きる」のタイトルにて、岸惠子さんが
50年以上住んでいるパリでのインタビューが掲載されて
いたのですが、久々に大きな刺激と感動を受けました・・・。

 このプロポーションと変わらぬ美貌ですが、1951年に女優
デビューをして、今79歳なんだそうです・・・・。

いつまでも若く美しい岸さんに(記者が)その秘訣を尋ねると

「同級生からも『惠子さんだけなぜそんなに若く見えるの?』と
言われますが、『若く見えるのではなく、若いのよ。どうして
あなたたち、そんなにシワをつくる暇があるの』 などと虚勢を
張るのよ。でもほんとに、幸せだから老けてしまうのよ。
ご主人がいて月給を運んできてくれて、子どもや孫に囲まれて。
温泉に漬かっているみたい。
 私、戦う女ですから。年中緊張して、憤慨して、感激している。
だからシワをつくる暇がないのよ。というのが女としての私の
はったりです」(笑)。

「はったり」と表現されているけど、岸惠子さんの本音だろうと
思いました。これだけ堂々とものを言えることは、普通の日本人
にはできないことで、やはり国際人としての感覚でしょう。

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(同上の雑誌から)







 岸惠子さんがフランスに暮らしてきた価値観の影響は
自分の哲学をもって主張し、しかも何歳だろうが女性としての
美しさを求められる点で、かなりのものとは思いますが、
「生まれて 生きて 死んでいく」ことはどこに暮らそうが平等で、
それにしても、もうすぐ80歳にして年齢を超えている心意気
に、私も少しでも近づきたいな~と思うのです。

 8センチ以上のピンヒールを履いて、ピンと背筋を伸ばして
颯爽と歩く姿に、皆さまは何を思いますか?

 私も外出時はヒールのある靴を履いていますが、せいぜい
5センチかな。今度は負けじとヒールを髙くしなくちゃね(笑い)。
 まあね、私も戦う女として生きてきて、年中緊張して、憤慨して
感激しているまでは同じなんだけどな~
でもシワをつくる暇はある(笑い)。

 岸惠子さんの生きざまに、姿や形をどう表現するかは大事なん
だと改めて思いました。
 日本の女性は50代になると「もう歳だから」と自らおばさんへ
と自認していく印象を受けますよね~。
それと同時に言動がピッタリおばさんになるんじない? 

 健康でいる間は自分の信念に基づいて格好つけましょうよ!
私は長年のスッピンを変えることはできがたいけど、せいぜい
美容院には毎週通い、人前に出る際はお洒落に揺れるピアス
をつけて、できれば7センチくらいのヒールを履いて頑張ります!
(笑い)





優秀な公務員に託す賢い縮小

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明治記念館で
(港区元赤坂)


 どんな人が集まったパーティに映るでしょうか? 

 5月23日、毎年この時期に開催される東京都庁のOBOG会
(医療&保健担当局で仕事履歴あり、あるいは在籍中の現役)に
参加してきました。OBや現役の官僚が集まる光景です・・・。
 当日の参加者は141名で、殆どが局長級を含めた幹部の集まり
なので、うち女性は22名の15%、今もこんな割合でしょうね。

 私が都庁にいたのは30代の終わりまでですが、この局(当時の
局職員1万人)の人事や労務を担当するかなり目立ったであろう
担当部署にいて、今と同じくとても清楚だったせいか(? 笑い)、
当時の皆さんとは何十年を経ても思い出話に花が咲きます・・・。

 東京都庁といえば、今は石原慎太郎知事や猪瀬直樹副知事など
強烈なキャラクターをイメージされると思いますが、職員は普通と
いうか、極めて善良で優秀な能力をもった人の集合体です・・・ね。

 特に、この担当局は都民の生命を預かり、都立病院など最先端の
医療を提供し、あるいは予防医学や医療に関わる許認可をしている
ので、医師をはじめ医療系職員も多く、イザことが起きた時の結束力
は相当なレベルにあるのではと思いますね・・・。
(この日も元局長や現局長がこんな趣旨の挨拶をされました)
 
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明治記念館の正面玄関近く





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食事が豊富で大好評
でした。日本酒も大吟
醸で。別のパーティに
お願いしようかな。



 東京都知事が国の大臣よりも偉そうに映るのはなぜでしょうか?
(特に慎ちゃんは尖閣の島まで買うぞと、ホント怖いものなし・・・)

 世界的に見ても国家にも準じる規模の大きさと(人口1300万人)、
自主財源で賄える財政的な余裕、それと知事は都民の直接選挙で
選ばれ4年の任期が(原則)保障される「大統領」だからでしょうね。

 一般会計6兆2360億円で、大企業の本社が東京に集中している
ため、都税収入が約7割あり、国の補助金や交付金に頼らず黒字で
運営しているのは東京だけなんですよねー。(※国の予算92兆円)
だから、他の知事みたいに各省庁に陳情に行くこともないのです。
 職員総数17万人。都庁だけで中堅都市の人口並み。
(内訳は行政職員19.000人、教職員62.000人、 警視庁47.000人、 
 消防庁19.000人、バスや地下鉄、水道などの公営企業 20.000人)

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 国の官僚とも違うし、一般の府県庁や市町村の職員とはスケールの
異なる一面があって東京都は特殊な世界を構成しているから、ただ
の地方公務員じゃーない。古巣への文句は言いにくいですよ~(苦笑)。
このblogの読者には勿論都庁のOBや関係者もいますしね(笑い)。

<善良な公務員の仲間に敢えて苦言を呈するならば・・・>

 少子高齢化の流れは止まらず、国の財政健全化もノロノロ運転みた
いなものだから、あと5年位で日本もギリシャやイタリアの状況になるか
もと予想していますが、日本の弱点は政治家は勿論、多くの公務員に
経営感覚が(体験上)欠けていることかなーと感じています。
(よく「公共経営」という言葉を使うけど、肌身にはピンときていない印象
 ですね・・・。加えて官尊民卑がまだ残っていそうで、彼らの給料は
 どこから降ったり湧いたりしてくると考えているのでしょうか・・・(苦笑)。

 高度経済成長の時代は、御上が税金と称して下々から金を徴収して
それを配分するのが役人の仕事だった。(今もその感覚に近いかな)
 ところが、そうはいかない時代になってきて、地域経済の衰退、雇用の
縮小、財政の悪化などが進んでいるのに、政治家や公務員の頭には
「賢い縮小」の発想がなく、従来と同じレールの上を走ろうとしているよう
にしか思えないのです・・・。もう元には戻れないと思うけどね。

 これが家計や企業の経営であれば、「入る」が小さくなれば「出ずる」を
制限して、借金をダラダラと増やし続ける無策は避けるでしょうが。

 企業を例にとると、状況に応じて支店や工場を減らす、人員の整理を
する、業種の転換を図る、合併して経営を立て直すなどするでしょう。
 だから、自治体でも、財政がひっ迫する中、地域がどんな手段で生きて
いくかについて「選択と集中」…何かを諦め、何かを捨てる覚悟が必要で
すが、何せ、役所は滅多に倒産しないし、自分たちの人件費をコストと
カウントすることも中々できないから、経営意識は育ちようがないなぁ・・・。

 中小企業の社長みたいに家や貯金を担保にして融資を受ける責任は、
幹部にもないですしね。国や役所には「私財を投げ打ち、首をくくる覚悟
で生きてきた人」を増やさないと屁理屈の横行する国会になりますよね~

 最近の東京電力や関西電力の幹部が語る内容にもよく似た傾向が
あり、殿さま商売にも終わりが近づいてきたかもしれませんが・・・。






開智と旧制高校に教育の原点

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重要文化財 
旧開智学校
(長野県松本市)





<旧開智学校にあるコミュニティの強い信念>

 5月13日に松本市内で2つの重要文化財を見学しました。
まずは、明治以来の教育の原点がここにありと思われる旧開智学校から。
(現在松本市立開智小学校がモダンな造りで隣接する)

 明治6年(1873年)に初代筑摩県権令・永山盛輝により開校された学校
で、日本最古の小学校の一つ。 
(筑摩県松本町には今の岐阜県の一部も含む)

 当初は廃寺を教室に使って授業を始め、この校舎は明治9年(1876年)、
立石清重が開成学校(東京大学の前身)を参考に設計施工したのですが、
松本城の築城以来の大工事だったとか・・・。(1963年まで 90年間使用)

 「開智」の校名は明治6年の太政官布告にある「其身を修め智を開き才芸
を長ずるは、学にあらざれば能ず」と教育のゆえんを説く箇所から採ったと
されています・・・。

 信州最大の財産は人材にありとして当時1万円※(今に換算すると1億円)
を超える巨額な工事費の7割を住民が拠出・調達したのは、学校を中心に
据えたコミュニティの強い信念と健全さを物語るものかなーと思いますね。
住民が未来に向けて身銭をきる覚悟は、今やどこかに消えましたもの。
(当時、教育に関わる費用は民費負担で国や県からの補助はゼロだった)

※明治時代の1円は現在の1万円に相当する

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永山盛輝(1826~1902)
明治政府の重鎮 大久保
利通につながる人物


 永山盛輝は優秀な教師を東京から破格の待遇で招いた後、自ら管内を
くまなく歩き、あらゆる冗費を倹約させて、学校の創設を勧め、各地では模範
授業を見せながら民衆を積極的に啓発したそうで、近年改めて問われている
コミュニティスクール(地域運営校)の萌芽がこの時代にあったことに感動・・・。

(現在、私学や国立大附属では小学校でも教師を全国から幅広く探してきま
すが、140年も昔に公立校が教員をヘッドハンティングしたことは凄い!!)



<旧制松本高校に見る教育の器とは・・・>

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旧制松本高等学校
本館(重要文化財)

(絵 三田智恵子)


 旧制高等学校は明治19年(1886年)に開校され、昭25年(1950年)に廃止
されるまでの間、70年間にわたり日本の教育界に大きな影響をもたらしたと
言われています。全国で41校。各校文科理科で一学年100数十人程度の
学校だったことは(進学率の点で)今では想像しがたいエリート集団ですね。

 帝国大学の予備学校でもあったのですが、附属ではないので、各校、自由
と独立の校風をもち、大半が寮に住んで寝食をともにし、文武両道、バンカラ
を旨としていたようです。
 寮歌を歌い、ストームと呼ばれる大円陣のお祭り騒ぎや簀巻き(すまき・
寝込みを襲い、布団巻きにして駅や公衆の中、女子寮に放り出す)など現在
では考えられない破天荒ですが、・・・日本のリーダーを育成する気概で、地元
の人々が彼らの行動を大目に見守ってきたのだと思います。
 
(松本高校では)カントやヘーゲルを読破する一方、近郊の浅間温泉で芸者遊
びをする生徒もいて、このスケールの大きさが一流人を育てたのでしょうか。

(石原裕次郎が慶応義塾高校の時代に、父親の遺産を飲みつぶしたという話に
似ており、サスガに20世紀の大スターは違う!? )
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旧制松本高校の思誠寮

現在は旧制高校記念館
内に、第一高校から
全校別の展示がある。



 旧制松本高校は大正8年(1919年)に全国9番目にできた学校で、2011年
に逝去した作家の北杜生が書いた「どくとるマンボウ青春記」に当時の様子
が詳しく描かれていますし、最近ではNHKの朝ドラ「おひさま」で、主人公の兄
が医学部をめざして在学し寮生活をおくった舞台として紹介されていましたね。

 松高からは(卒業後殆どが東京帝国大学などに進学)、政界財界にも幾多
の英才を輩出していますが、学問・文化・芸術などの領域に顕著で、
芦部信喜(憲法学者)、臼井吉見、唐木順三、北杜生、熊井啓(映画監督)、
辻邦生、中島健蔵、望月一恵、若月俊一(地域医療)など、日本を代表する
顔ぶれがたくさん並びます。

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マント,白線帽,高下駄の
シルエットが今となって
は美しく格好いい。
(旧制高校記念館正面)


 

<教育県 長野の栄光と挫折とは>

 開智学校と旧制松本高校は、信州教育の礎となり、明治以来の100年、
日本の教育をリードしてきたのですが、それまでの「教育県」が90年代に
「教育過疎県」と極端にマイナス評価されるに至ったのはなぜでしょうか。

 開智学校の背景にあったコミュニティの強い信念や、旧制松本高校を支
えた教育の器や住民の大らかさを拠り所に、本質を守りながらも時代の
変遷に対応して応用するギアチェンジができなかったように思えるのです。
(信濃教育会や日教組など、長野県は教育のガバナンスが他県より複雑
でその分責任も曖昧。誰も船の舵を切れなかったのではと思いますね)

 「奢れる平家は久しからず」にも似て、77年の高校12学区制導入のあと、
89年には4年制大学の現役合格率が11。4%までに落ち込んで、結果、
90年代にマスコミが書いた『気がつけばビリから3番』という見出しが明快

に実情を示して県内に衝撃が走ったとか・・・。
「長野は教育県だよ~」と屋形船で障子を下して酒盛りをしている間に、
船は遠く沖合に流されていた・・・というイメージでしょうか(苦笑)。

 その点、東京には伝統的な名門私学などテーマ型コミュ二ティスクール
があり、公立小中学校でも20年前から選択制度が導入されたりと、
小学校から競争原理が働いていますね。あと、地方に行くほど色濃い学校
の官尊民卑はなくて、むしろ今は「民尊官卑」に近いかもしれません。

(※都内には国立大学附属小学校が6校あり、中学・高校は最難関ですが、
モデル校としての深い伝統と明確な教育方針、教師の専門性とリーダー
シップ、親の熱意と都会的な雰囲気は私学以上のものを感じますし、、
慶応幼稚舎(=小学校)の方が地味との噂もありますね)

 私も松本の出なので、東京で子供の進学に携わるまで分からなかった
のですが(小学校受験も中学受験も経験ずみ)、「小学校お受験」は、
テストの点数だけでは合格できない総合評価だから、勉強一本やりより
難しく親の勝負。(合格者も男女数十名という針の穴ですしね・・・)
でも親は教育理念の明確な私学(や国立)で、思春期の受験を避けてノビ
ノビ育てようと考える人が多い。 紳士淑女の教育の場にもなりますし・・・。

 勉強ができて有名な大学に入れば生涯何とかなる時代は終わったかな。
何せグローバルに競うのだから、金太郎飴の人材では太刀打ちできない。

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 基礎学力を積み上げた上で、これからは開智や松本高校の教育理念を
思い起こしながら、住民を含めて人々が関わり合い、もっと幅広い能力を、
しかも市民としての公共心を養う教育を考える必要がありそうです。
 アメリカでは幼稚園から小学校にかけて市民の社会的な責任を学び、
自分の意見を出して議論しあう。この点、日本は遅れていますよねー。

 親や住民もうるさい人が多いようですが、教師もサラリーマンとならず、
真正面から向き合って親から住民まで啓蒙する覚悟をもってほしい。
 ただ、学校という限られた空間しか体験できていない教師が、国際社会
の幾多の分野で仕事をする人を育成することには限界がある。
その点では教師の職業的流動性を高めて、地域のさまざまな専門家が
学校教育に関わるという装置が必要ではないでしょうか。

 近年は長野県も多々努力をして基礎学力の回復はできつつあるよう
ですが、ピンチをチャンスに斬新な教育システムの構築をしてほしいもの
です。

頑張れ、ふたたび信州教育!!





歌姫と歌王子が松本に集う

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松本城に近いカラオケpab cidyで(大手4丁目)


 5月12日(土)に松本で飲み会を開くために帰郷しました。
「三田は松本でもbarに集う」・・・でしょうか。

 最初のきっかけは・・・。 3月の下旬に(最初に入学した)信州大学の歌仲間・・・
広島在住のH。暁さん(写真の中央)から電話をいただきました。3月の末で彼が
勤務してきた国立病院の院長を定年で辞めることになりました・・と。
(大役でしたでしょうから、ホッとされたのでは? お疲れさまでした!)

 少々ほろ酔い状態で、私も家で晩酌をしていたから、まあね、酔っぱらいのおじさん
と超お姉さんの会話があり、暁さんの「元気でいるうちに又みんなで会いたいね~」と
言う言葉にはとてもリアリティがありました。
 脳神経内科が専門と記憶していますが、近年は高齢者の医療に携わってきたドクター
の「元気でいるうちに」は「そうか、経験から人生先はそう長くないのか」とね~(苦笑)

 関東に住む3人に声をかけたら即OKだったので、広島、横浜、千葉、東京、甲府から
5人で松本の「しづか」をめざして飲みに行こう! 5月12日の夕方5時集合ですよ~
 でもせっかく松本まで行くのだからと、松本界隈に住む先輩や古い仲間に声をかけて
みたら17名になりまして・・・ まずは老舗のしづかで4時間の宴会をこなしましたよ~
 昔は合唱団、今も合唱団が多いから、後半は歌う宴会となりまして・・・。
その昔は歌姫と歌王子だったけど、今はなんて言えばいいのでしょうね?
(飲んだお酒の本数は不明) その後で移動した店が写真のカラオケpabでした。

 学校の同窓会ってお化け大会みたいな面白さがありませんか?
他人には数十年の歳月をごまかすことはできないけれど、本人たちは会ってすぐに
20歳前後の昔のイメージと重なり、若い頃の坊やとお嬢ちゃんなんですよね~
 
 信州大学は東京の私学に較べると皆さんが質実剛健で、すべてに真面目で、
この会も学校の教員が多く、更に医師や弁護士といった「先生」たちが何人も・・・。
 12日は男性12名、女性5名とおじさまが大半で・・、何せ、20歳前後からお互い
の行動を・・・ドジ踏んだり悪さをしたのを見てましたよ~、あの人の次はあの人にも振
られた、成績が危なかったのを助けた・助けられたなどと永年情報共有しているから、
のち世間でどんなにお偉い先生に出世しても、遠慮はしませんよ~(笑い)。

 相手の呼び方は丁寧でも〇〇さん、普通になら〇〇君、大学の教授と言えども〇〇
ちゃん、さもなければ呼び捨てです(笑い)。 
 その上、私であれば専門医に向かって「お酒の飲みすぎは身体に悪いですよ~」
なんて申し上げまして、このお節介は「3丁目の夕日」も青く変色するかもね・・・

 そうそう、翌日の帰り際、ドクターH.暁さんに「元気で長生きする秘訣は?」と
お尋ねしたら、「できるだけ仕事(や活動・趣味など)をやめずに、日常の生活スタイル
を続けることではないですかねー」との趣旨でお返事がありました。
 私も宴会やbarを楽しむ暮らしは方針を変えずにドンドン参りますよ~!

※<信州大OBの代表選手が猪瀬直樹>
 
  
  今東京電力の値上げに真正面から反論し、逆提案するなど連日TV出演している
 東京都副知事の猪瀬直樹さんは、目下信州大学OBの代表選手でしょうね。
  学生時代には信大全共闘の議長で、学長との団交など、当時から機関銃1丁で
 闘ってきましたと、ご本人から話を聞いたことがあります・・・。
  元々は作家とはいえ、小泉政権下の道路公団民営化でもズバリ切り込んだ武勇伝
 は信州人の気骨を典型的に示しているかなーと思います。










日米の政治家の違いとは?

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小雨にけぶる総理官邸
国の心臓部の背後に
高層建築が許されるのは
日本くらいらしいですよ~
(上から狙われる危険あり)




 5月15日、久しぶりに所要があって永田町の衆議院議員会館に行きました。
知人である議員の政策秘書を訪ねて国政の近況を伺い、相談したいことも
あったからです・・・。
 
 たまたま話題が(blogの「政治家は何する人ぞ?」に書いたように)議員の
専門性の話になったのですが、国会中継を観ていても分かりますよねー、
予め提出された質問に対して官僚が用意したメモを読み上げる光景は、
やっぱね~、専門性は薄いようで、自分のプレゼンスがなければ官僚を含め
誰も相手にしないとか・・・。 特に民主党になってからその傾向にあるらしい。

 よく岡田副総理などが「しっかり議論して」と(期待を込めて)言っていますが、
お互いに紙を読み合うスタイルで、「議論」のレベルにはなっていませんよね。
 子どもでも学芸会の本番では台本なしに台詞を投げ合うのだけど・・(苦笑)。
YESやNOしか答えないのではなく、
公共サービスとして何ができるか、この時点でどうできるか、それを動かして
何が実現できるか・・といった話は紙を読みあっていたのではできる筈がない。

 元々日本人の間では「議論をしましょう」といえば、結論を出さない、誰も責任
を取らないということのようです。曖昧模糊は日本(人)のお家芸でしょうかね。

 訪問した政策秘書(40代)はアメリカの大学で博士号をとった人なので、
アメリカの政治形態に詳しいのですが、閣僚が日本のように(一部を除いて)
議員が原則というルールではないから、大臣には民間や研究機関など幅広い
対象からプロ中のプロを連れてくる。
それでも、仮に原発を再稼働するかどうかの判断は、最高レベルの専門家に
より判断され、大臣とはいえ技術的には素人が結論を出すことはないそうです。
 しかも大統領の任期4年にあわせて仕事をするから、日本のように数ケ月や
1年でコロコロ変わることもなく、安定して責任をもつのです・・・よね。

 それに年齢的には皆さん若いのだそうです。大統領が典型的ですが、
アメリカという世界を牽引する役目を担うリーダーが、持病があったり、よぼよぼ
して何時倒れるかわからないようでは危なくて国を任せられない。
(と、国民が考えるし、子どもの頃からそういう教育を受けてきている)
その点ではプロポーションからファッションまで「強いリーダー」としてのスタイル
が意識されるのも不思議ではなく、当然でしょうね。

 だから、日本のように年功序列と派閥均衡で「防衛大臣」になるようなことは
あり得ないでしょう。オバマやヒラリー・クリントンのあの迫力は、日本の政治家で
は誰一人対抗できませんよね~ いい加減に政治ごっこやめて!と申し上げたい。

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最近完成したばかりの衆議院第二議員会館。
各議員の事務所は100㎡ 弱あり、以前の2倍
になりました。入るには空港並みのチェック有。


 
 日本の政治家は官僚に較べると明らかに専門性に欠けるとなると、
それでは一体何をする人なんでしょうか?
 役人(官僚)は彼らも自分たちの都合優先、権力保持で動いている
ことが多々ありそうだからブルトーザーのように決まったレールを走り
がちです。としたら、政治家は各論を役所に任せて(しかも中央から
地方への分権、地域主権を進め)、自分たちは国の方向性を考え、
ダイナミックな国づくりに取り組んでほしいものですよね~。

 それにしても〇〇チルドレンなんて言われる素人めいた議員には
難題でしょうから、早めにお引き取りいただきたいものですが・・・。

















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