熟女はご意見番

2012年06月

旧制松本高校と松崎一先生

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旧制松本高校の
跡地内にある
旧制高校記念館
(松本・あがたの森)




 
6月2日(土)、5月に次いで再び松本の旧制高校記念館を訪れました。
 (ここには松本高校の他、一高からはじまる全旧制高校の展示がある)

 今の自分にできるかな~と思う一つとして、若者の背中を押すために、
世代や職業や生き様を超えたクロスカルチャーの寺子屋を考えているの
ですが、その井戸がここにあるように思えたからです・・・。

 旧制松本高校は大正8年(1919年)に開校し、戦後の学制改革により
昭和25年(1950年)、「信州大学文理学部」へと看板が変わりましたが、
私は文理学部の終盤(のち更に改組され今の人文・経済・理学部になる
直前)に入学して、法律を専攻した珍しい女子学生の一人でした。
 法律や経済を専攻した女性は上も下も不在で、私の学年に2名だけ。
コンパで「ボクの酒は飲めないの?」と言う一人一人に対応しているうち、
20歳で酒豪と呼ばれ、キャリアを積んで今日に至っていますよ~(笑い)

 旧制松高はなくなっても校舎は変わらず、伝統もそのまま残りました。
落書きだらけの思誠寮に学生が住み、どてら姿の7年生や8年生が
おっさん状態で在学して、授業が退屈だと教授に「やめまっしょ!」と
叫んだり、集まれば松高の寮歌を歌い、簀巻きやストームなど破天荒な
伝統行事をして、街中でも大騒ぎが許された古き良き時代でしたね~。
(私もソプラノで寮歌を歌い、思誠寮から簀巻きが女子寮に投げ込まれ
たと聞くと興味津々覗き見に行ってました・苦笑)

⇒旧制高校記念館は母校と同じで、10回以上の訪問をしているのですが、
 目的のために何かを探そうと展示を見学したのは初めてです。

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旧制松本高校の教授
となり北杜生に慕われ
た物理の松崎一先生
(1917~ 2011)


 松本高校の展示に欠かせないOBに斉藤宗吉(茂吉の次男で
精神科医・作家の北杜生
)がいるのですが、彼は医者をめざしな
がら物理が苦手だったらしく、答案に「恋人よ この世に物理学とか
言うものがあることは 海のやうにも空のやうにも悲しいことだ・・・」
から始まる長い詩を書いて、回答の無い答案ながら、あまりの名文
に59点を与えたのが、当時20代の松崎教授でした。
(60点未満が4科目以上あると成績が親元に送られ、宗吉(北杜生)
さんは後日親父の茂吉さんから相当油を絞られたとか・・・)

松崎一(はじめ)さん。大正6年(1917年)長野県更埴市生まれ。
松本高等学校理科甲類を経て、東京大学理学部物理学科卒業。
昭和17年(1942年)1月松本高校の講師になり、9月には教授。
のち信州大学教授、教養部長となって昭和58年(1983年)退官。
その後松商学園短期大学学長

松崎教授と北杜生さんは、卒業後20年以上を経た昭和41年に
 NHKの「私の秘密」で対面したり、昭和43年、北が松本高校時代
 をユーモラスに描いた著作 「どくとるマンボウ青春記」を出版して、
 松崎教授とのエピソードを実名で紹介している。
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 松崎先生は物理の学者なので、本来私にはご縁がない筈ですが、
夫の所属したマンドリンクラブの(楽譜は読まず楽器を持たない)
顧問となられ、やがて仲人をしていただいてからは、私にも深い
ご縁ができて、蘭子夫人共々晩年までのお付き合いの中、数えきれ
ないほどご自宅に出入りしてご馳走になりました。

 
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松崎先生が松高生
(19歳)当時に作成
した松本市内の
「盛り場案内図」





 昭和59年(1984年)に先生がこれまで信濃毎日新聞や大学の機関紙
などに書き留めた原稿を整理して本を出されることになり、私に編集の
ご指名があったので、とりまとめ完成したのが著作の『惜春の詩』です。
(のち続編、続々編まで)

 「惜春の詩」は(・・タイトルの意味など)
松高を代表する寮歌「春寂寥」に、先生の奥深い知性と心の青春を重ねて
名付け、章見出しに「ヒマラヤ杉讃歌」、「贈る言葉」、「佳い日旅立ち」など
詩や歌系の名前を付けたのは私の趣味でした(笑い)。
  昨年2月16日、93歳で逝去された後の偲ぶ会で、その看板名が
「『惜春の詩』松崎一先生を語る」と書かれたことで、私にも少しだけ恩返
しができたなぁという感慨がありましたねぇ・・・。

 で、その「惜春の詩」に旧制高校の真髄を語る表記があります。
昭和56年(1981年)の末に、民放の「すばらしき仲間」という番組に松高
の同窓生3名ー北杜生(作家)、小塩節(ドイツ文学者)、熊井啓(映画監督)
が出演して思い出を語った際の話・・・。
「高等学校で我々は実にいろんな事をした。遊びもし、勉強もし、背伸びを
しながら友達と論争したこともあった。しかし、学問を習うということよりは
『心』を教えてもらったんだ」(
北杜生が片手を胸に当てて語り、皆で頷く・・)

 この場面が松崎先生に一番印象的だったそうで、先生は後、昭和57年の
信州大学入学式で、この話を引用しながら次のように結んでおいでです。
「教養」とは一体何か。私は「心」だと思う。人を思いやる心とか、ものを慈し
む心とか、そういった心をやはり君たちは此処で培っていっていただきたい」

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記念館のモチーフに
なっている青春群像
「夕日にたたずむ」





 昔は旧制高校に進学すれば自分の志望学科のある大学進学は
(医学部を含めて、それも帝国大学中心に)ほぼ約束されていたとか。
※旧制高校は、毎年全国で5000名程度の卒業生を送り出すが、
 5帝大(東京・京都・東北・大阪・九州)の入学定員の方が多く、一橋
 や東京工大、地方の国立医科大を数えるとまさに広き門であった。

 で、受験勉強の鬼となる必要がなくて3年間を哲学や文学やスポーツや
寮の自治や宴会など、ノビノビと過ごせたのは、女の私でも羨ましい!!

 「これに反し、今の高校生は・・・・」という松崎先生の続き言葉ですが、
「学生に(智の)飢えを感じさせるにはどうしたらよいか。やはり教師の側から
積極的に手をさしのべ、近づき、まぶしい程に魅力ある世界(それが学問の
世界であれ何であれ)を覗き見させる必要があるのではないか。もっと泥臭い
付き合いの中から真実のものを掴ませること、これがわれわれに課せられた
仕事ではないだろうか」

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 松崎先生を偲ぶ会は昨年5月15日に、旧制松本高校以来の講堂で開か
れたのですが、前日ネパールのカトマンズから帰国した私に、紅一点の
スピーチの機会が与えられました。(勿論大先輩だらけなので尻尾ですが)

会場で、参列者の皆さまにこんな話を申し上げました。

「松崎先生は信州人には珍しい程にジェントルマンでダンディなお方でした。
お会いするつどお話がユーモラスで、相手が楽しくなる、幸せな思いをする
ようにと会話を盛り上げてくださり、晩年のホームや病院でも先生のダンディ
ズムは変わりませんでした。先生からたくさん「人生の粋」を学ばせていただ
いたことを心から感謝しています。
 
 ただその分、先生は堅苦しく長い挨拶がお嫌いで、式典の最中、壇上でも
堂々と居眠りをされ、その後、物理のお弟子さんを通じて私にお呼び出しが
かかるのです。先生の要件は「もう家に帰るから(一緒に行ってくれ)」と。
 こうして私は何度もパーティで先生と一緒に中座をしたものですから、
今もあちこち飲み残しがあります(笑い)」

 今改めて思い返すと、松崎先生からは、やはり何かを託されたなあと感じ
ますね~。微力ですが社会のお役に立てられるようにもうしばらく頑張ります
ので、どうか天国から見守っていてください!

※このblogにある「開智と旧制高校に教育の原点」も
 併せてお読みくださいませ。



 




八代亜紀の演歌とスピーチ


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    6月6日、思いがけず知り合いの外交官OBからお誘いを受けて、
歌好きな女性の友人を誘い、3人で「八代亜紀コンサート」に出かけてきました。
面白い組合せですが、このエリートのおじさま、演歌大好きなんだそうです・・・。
神奈川県民ホールはほぼ満席でしたね・・・。


 私は音楽ならクラシックから演歌まで何でもOKなので、最近の歌謡曲では
舟木一夫、西郷輝彦、三田明から、以前はデイナーショーで都はるみ、
郷ひろみ、森進一、加藤登紀子、布施明、五木ひろし、お隣さんの畠山みどり、
知人の宮本信子さん(ジャズ)に至るまで相当数のコンサートを聴いてきました
が八代演歌は初めてでしたね~

 テレビで見聴きするのと変わりなく、やはり歌はうまいですよ。
隣席にいた、歌い、時には指揮をとるセミプロ友人によると、年齢上歌唱力
(声量)は落ちているそうですけどね(笑い)。
言われてみるとあのハスキーボイスだから、お腹からの発声ではなく、
喉からの声で歌っているのは事実でしょうか・・・。

 八代亜紀。1950年8月生れだから今は60代なんですよね~。
熊本県八代市出身で、中学生の頃に父親が買ってくれたジュリー・ロンドンの
ハスキーボイスに励まされ、中学卒業後15歳で上京し、銀座のクラブで歌って
いたとか。
 1973年に「なみだ恋」が120万枚の大ヒット曲になり、後、「もう一度逢いたい」
や「おんな港町」、「愛の終着駅」で大歌手の仲間入り。
1979年の「舟唄」や 1980年の「雨の慕情」(日本レコード大賞)は誰もが歌う
国民的演歌でしょうか。 (私もカラオケでよく「舟唄」を好んで歌うんですよ)

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横浜の山下公園近く
神奈川県民ホールで






 八代ステージで少々気になったことがありました。
体力に限界があるせいか、3分の1弱の時間をおしゃべりで埋めるの
ですが、客席に向かって優しい言葉をかける光景は微笑ましいとして、
やや余計なことを言うのです(苦笑)。

 「人生は二人の方がいいですよねー」とか、人はこうありたいみたい
な人生観とか。2000名を超える客席には、最近配偶者を失い、
気落ちしている人や、結婚を望みながらうまくいかなかった人もきっと
相当数いる筈なんだけど・・・。
 私みたいに「あなたに人間かくあるべしなんて言われたくないよー」
などと考えるうるさい熟女もおりますしね(笑い)。

 大衆は百人百様だから、最大公約数を考慮すると、自分の苦労話は
いいけど、それを聴き手に価値観として伝えないなど、一定の境界線を、
大歌手・八代亜紀には周囲の誰も助言できないのかな~。
 
 中学を出て一時期バスガイドをしながらも、懸命に歌ってきたことを
思うと片目をつぶる話かな。演歌の女王には余計なお世話でした(苦笑)。

 
 うちのお隣さんは往年の演歌歌手・畠山みどりさんです。
彼女も北海道から上京し、早くも73歳ですが、今週7日のテレビ東京では
「恋は神代の昔から」と「出世街道」の2曲を見事に歌いましたよ~。

 時折私に電話があり、「こんにちは~」と隣宅に行って話を聞くと、世間
の常識からはちょっとねーと、余計なお世話を申し上げることもありました
が、歌一筋という点では脱帽したくなる頑張り屋さんです。
 南と北の違いはあれ、何やら八代亜紀さんと共通点をもっていそうだし、
芸人さんに社会常識を求めるのは・・・ウーン、反省!(笑い)







自分らしさと優位性を考える

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成城石井の
店舗に並ぶ
ビールの数々


 時折(私が)招聘研究員をしている早大メディア文化研究所の
「公共ネットワーク研究会」に参加して、様々な分野で仕事をしている
講師やメンバーの話を聞き、後半は飲み会で議論することを楽しんで
います。

 5月30日は「公共に果たす広告コミュニケーションの役割」というテーマ
で座長である林秀一さん(電通・営業推進室)の話を伺いました。
 私たちはテレビのCM,新聞の広告、電車の中づり、道で通り過ぎる
看板を含めて1日に3000種類の広告に接しているそうですが、記憶は
1000分の1程度とか。まあ、頭に残るのは3つ位ということでしょうね。

 扇千景さんが国土交通大臣の時代、国交省のCI※(Corporate Identity)
の設計を頼まれ、観光を中心に「自分らしさ」をどう演出するかを(電通の)
林さんが役人と検討したそうです。
※C I とはマーケテイング手法の1つで、基本要素はブランド名、ロゴマーク、
  キャッチコピーとされるが、現在は役所にも応用されている。

 都道府県や各市町村のポスターを想定すると分かりますが、誘致の
文言は決まりきった総花的なもので、90%が似たり寄ったりとか。
自分たちのコンテンツ(優位性)は何かまで辿り着けないということでしょう。

 ビールが事例に出ました。
キリン、サッポロ、アサヒのシェア争いはし烈を極め、80年代から見て
キリン  63%⇒ 35%
サッポロ 24% ⇒  9%
アサヒ      9 % ⇒ 37%    
が現状だけど、1番のアサヒと2番3番では戦略がまるで違うのだと。

 多額の予算を使い、有名タレントを登場させても
リアリティの無いメッセージは届かないし、教え諭すより受け手側が欲する
メッセージを出さないと意味がない。要は『社会に受け入れられないと衰退
する』ということでしょう。
 その意味では労働組合や「共産党」の看板は、膨大な負の遺産を背負う
イメージだから、本当はどう見られているかを自己分析し、何が望まれてい
るかCIが必要なのに、こういうところに限って頑固に我を通し、結局は廃れ
ていく・・・。
 今最もCIが望まれ、「自分らしさ」とは何かの詰めが緊急なのは民主党
でしょうけどね(笑い)。

 ちなみに、海外の有名ブランドは日本と違い、社長や宣伝課長が交代して
も、積み上げを大事にして簡単にはブランディングを変えないのだそうです。
「違いを楽しむ人のNESCAFE」は永年変わらずそのまま・・・。
 その点日本は宣伝課長が変わると、今度は俺が手柄をとコロコロ変える。
だから、国際戦略上はメッセージ性が弱くなりますよと。

 まあ、日本の政府と同じで「今度は俺が手柄を」で年中椅子取りゲームをし
ていることと本質は同じかなと思いました(苦笑)。
そして、私たち個々人もCI戦略をして優位性を練り出し、最後まで自分らしい
生き方ができるといいですよね~。差別化をどう図るかが課題ですから、
「みんなと同じ」から一歩も出ない人は、この話に馴染みませんよ~(笑い)

ご参考までにですが、私は自分のロゴマークを持ち、キャッチコピーを
 作って名刺で表現しています。
 ロゴはこのblog「三田智恵子Topic Watch」の看板にあるピカソ風の「顔」で、
 キャッチコピーは「New Future for The Children」です・・・。
 (これは私の行動指針で、仕事、研究、遊び、スポーツ等すべてに子どもと
  若者を優先させ、次世代の改良に繋げる役を貫きたいと考えています・・・)

 私個人のブランド価値はさしてないにせよ、氏名は誰しもブランド名だから、
生きている限り、その価値を高める努力をしたいな~とは思いますね。

 




有名ホテルの店で格安の不安

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都内の港区
新高輪プリンス
ホテルの店で


 銀座など都心のファッションが想定外にプライスダウンしていることを
単純に喜べないな~と感じています・・・。むしろ不安の方が大きいかな。
ユニクロ、GAPその他もろもろは1000円、 2000円が中心ですが、
よく芸能人が結婚披露宴を開くことで有名な都心のホテルでも驚くほど
安い衣料が売場の主役を占めるようになりました。
 
 5月中旬に松本の高校の東京同窓会が白金の八芳園であり、うちの
近くだったので、帰り道に明治学院ほか近隣を案内しました。
女性の同級生が一番喜んだのは、写真にある新高輪プリンスを含めた
ホテル内のショップです・・。
「ヒャー、こんなに安いの?!」と買い込んでいましたよ~

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 価格はいろいろですが、ホテルはテナント料がかかることもあり、
数年前までは一着云万円が普通だったように記憶しているのに、
今は3000円から5000円くらいが多いですね・・・・。
(もちろんデザインも材質も安物化していることは否めないですが)
 私が若く稼ぎの良い時代には1着10万円  20万円のスーツを
ごく自然に買っていたのだけど、今は自分の感覚も桁違いになり、
「えっ、1万円もするの?!」 ですからねー。
これがユニクロであれば「えっ、3000円もするの?」と(笑い)。

 雇用、原材料の調達、税収を考えると、「ユニクロ栄えて国滅ぶ」
が現実味を帯びてきたように思えませんか?









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