熟女はご意見番

2012年10月

親日中国人一家と胡耀邦さん

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10月5日
我が家に
上海から
のお客様






 銀座や秋葉原から中国人が消えてしまった10月、我が家に上海から
親日派の鄭さんファミリーがやってきました。
 写真で見るようにさわやかな家族で、右のご主人は元々日本の関西に
ある大学を卒業して、長らく夫人共々日本で暮らしていたので、言葉も
流暢で会話に不自由しません・・・。数年前までシンガポールで貿易の
仕事をして、今は上海に移り、高校1年生の南茜(あかね)ちゃん(中央)
と3人で生活し、鄭さんは同じ貿易の仕事をしているそうです。

 今回の訪日は日本の大学への進学希望を持つあかねちゃんを、
「日本は中国で噂されているような国ではなく、親切で良い国だよ」と
実際の雰囲気を体験させることが第一の目的だったようです・・・。

 上海では旅行社を含めて今日本に行くのは危険だという人がいて、
キャンセルが相次いだようですが、彼らは政治と個人的行動は別と
意に介せずJALに乗り込んだとのこと。
飛行機は乗客をカウントできる程ガラガラだったそうですが・・・。

 あの激しいデモは「反日」というよりも中身は「反政府」が拡大応用され
たものというのが彼らご夫妻の見解でしたし、略奪や暴動を起したのは
それなりの人たちであったようです。
 そして多くの日本人が感じているように、中国人もまたこのままの体制
では難しい、民主主義、国際協調、人権尊重などが望まれていることを
知的階層は意識しているのではと思いますね~ (推察ですが・・・)

 私たちと和食を楽しみ、2日後には富士山の5合目まで登り、あかね
ちゃんは日本のアニメ制作に関心を抱いている・・・。「楽しい旅でした」と
上海からお礼のメールが。
 こういう親日的な中国人が多くなってほしいけど、そのためには私たち
日本人も政治を超えた普段着の交流を図ることが大事でしょうね。

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       1984年3月25日
       北京・人民大会堂で、
       胡耀邦総書記(中)と
       署名するうちの長女










  
 
 尖閣諸島をめぐる反日運動に象徴されるように、日中関係は冷戦状態に
なっていますが、深く思い出すことがあるのですよ~

 今から28年前の1984年3月に社団法人・東京青年会議所(JC)の主催で
国交回復後はじめて日本の子どもたち(東京JCメンバーの子弟である幼稚園
から大学生まで)84名を57名の大人が引率して、北京・上海・西安への訪中
をしました。
 『日中友好少年少女の翼』です。各地に人民日報や中央電子台(国営TV)
の記者やカメラが付いて回る大騒ぎでしたが、その話はまた改めて・・・。

 団長は(当時)東京青年会議所理事長の小坂俊幸さん・・銀座・小松ストアの
御曹司です。国交回復以来、青年会議所は中国から研修生を受け入れて、
技術や生産管理の習得に協力してきたので、胡耀邦(こようほう)中国共産党
総書記
から招かれての訪中でした。

 胡耀邦さんは、当時中国の最高指導者の地位にあり親日家で知られた政治家
でしたね。彼はその時68歳で、前の年に訪日し、国会で演説したほか、NHK
ホールで、日本の青年3000名を招待したいと語って、のち実現しています。

 私たち141名は人民大会堂(日本の国会議事堂に当たる)に招かれて、
その際に、胡耀邦さんが「中日青少年永遠友好」と見事な筆文字で書いて・・・、
すぐ脇にいた私の長女真希納(まきな・小5)が歴史に残る大政治家の次に署名
しているという凄い光景です・・・(苦笑)。
 でも日本の子どもたちに声をかけ、権威とは別の順位で署名を運ぶところが、
いかにも好々爺の印象ですよね~(胡耀邦さんの死去を学生が惜しみ、2ケ月
後の1989年6月に起きた「天安門事件」の引き金になったことが頷けます・・)

 その後夕方から、人民大会堂で歓迎会が開催されて、その時の主催者が
今の最高指導者である胡錦濤(こきんとう)国家主席でした。
その時は中華全国青年連合会主席という肩書で、親日で民主化路線を歩もうと
していた胡耀邦さんの片腕だった筈ですが・・・。

 皮肉なものですね。胡錦濤さんも私たちがお会いした際には「21世紀の中日
友好」を熱く語っていたのですが(手元に記録があります・・・)、
 今回の反日運動の引き金は、今年9月9日に胡錦濤さんが野田総理とロシア
のウラジオストックで15分の立場話をして、「日本は事態の重要さを認識して
ほしい」と訴えたのに、帰国直後に尖閣の国有化を閣議決定したと・・・・。

 30代から国の中枢にいて、2003年以来9年も国家主席の地位にある胡錦濤
さんと、つい最近総理の座に就いてまた1年交代しそうな野田さんでは、国家認
識や言葉の重さが相当に違うものなんでしょうね。
 もう少し、相手のメンツを配慮すれば、ここまで冷え込まなかったのでは・・・と
思いますよ~ 勿論、中国の蛮行は許されず、野暮の際たるものですが・・・。

<胡耀邦(こようほう)> 1915~1989(73歳)

 1982 ~1987まで中国共産党中央委員会総書記
 チベットで政治犯の釈放や信教の自由を認めるなど改革派指導者であったが、
 のち党幹部からの指弾を受けることに。
 国民に「言論の自由」を保障したいと活動したが、「ブルジョア自由化」などと
 批判され、1987年に総書記を解任されて事実上の失脚をした。

 1989年4月、心筋梗塞で倒れて死去。追悼と民主化を叫ぶ学生や市民の
 デモが広がり、10万人の騒動になったのがあの「天安門事件」であった。

 私たちが訪中してからたった5年後のことですが、中国は28年後の今も民主化
 を実現できていないのは実に残念なことですね・・・。


 

 



 

地方公務員をめざす若者考

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10月12日
朝7時の
NHKにて





 12日朝のNHKニュースで「目指すは地方公務員」とのレポートを見て、
「やっぱそうか・・・」と思いました。
 先週6日の土曜日に早稲田大学の大学院で、現役院生を対象に大学と
同窓会の共催で就職支援の会を開いたのですが、なぜか、地方公務員
の選択が多い。都庁出身の私は「青年よ、もっと大志を抱け!」との思い
で学生には「役所に幻想を持たないように」伝えたばかりでした(苦笑)。

 今の若者の多くには「寄らば大樹の陰」といった意識が高く、
昔なら「末は博士か大臣か」なのに、政治不信、日本の大企業は国際競争
に弱い、国の官僚は定数削減だし評判は悪いし、さりとて中小企業は将来
が不安だし・・・で、残された希望が地方公務員なんでしょうか。

 私が都庁をめざしたのは、美濃部革新知事の登場で「東京から日本を
変えよう」に引き寄せられ、大石内蔵助に馳せ参じる赤穂浪士のノリだった
から、安定志向とは真逆なんだけどね。(で、鈴木都政になって数年後に
私も都庁を去ったのですが、こういう殉職精神は今やおとぎ話かな・・・)

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 千葉大学の明石教授が解説をしたように、今の学生には安定志向が強く、
大震災の影響なのか、身近な人の役に立ちたいとの思いがあるのでしょう。
勿論、地方を支えていくことは大事だけど、国が沈没しかかっている時代に、
皆が自分の郷里や市役所を守るだけでいいのだろうか・・・。
 親亀が経済破たんをしたら、自治体も子亀として連鎖的にこけるのだから、
「国を背負う気概とリーダーシップをもった人材を育てなければならない」は
その通りですよね~

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 昨今はかってエリート学生が憧れた国家公務員には人が集まらず、
全国でセミナーを開催しているとか・・・。ある種の傾向を同じくする
「みんな一緒」が好みなのか流行なのか、でもやや極端ですよね・・・。

 先日の就職支援で、私自身は役所と民間を両方経験したからこそ、
役所とはどういう職場かについて、志願者に覚悟を求めるため正直に
経験した実態を伝えました。
 30代終わりまでの職場、東京都庁は人口や予算の規模からしても、
世界の国家レベルでベスト10 に入るような大官庁なので、国の省庁より
パワフルだから、地方自治体の一般論は通じないかもしれません。
(国の官僚同様に、プロが多いですしね)

 でも、数年前に東京23区の一つ、人口30万人、職員2500人、年間
予算1000億円の〇〇区の政策評価を4年受け持って、隅から隅まで
眺めまわし、全部署の幹部や担当職員とのヒアリングもしました。
 だから平均的な規模の自治体について、その実態を語れるのです。

 その自治体を例に、敢えて、学生に説明をしたのは、
①自分たちの給料をコストに考えていない点では、コスト意識は薄くて
 幹部も理屈でわかっていても「経営」が身体に浸み込んでいない。
②民間の「利益」を蔑視している風潮があるが、利益を出すからこそ、
 設備投資をし、雇用を増やし、税金を納めるという単純明快な原理が
 通らない。自分たちの給料は天地から湧いてくるような感覚らしい。
③3年位で上も下もくるくる人事異動をする。今日までは住宅・公園、
 明日からは生活保護、その先は保健衛生、更には教育委員会と、
 プロフェッショナルが育たないシステムにある。(民間なら一つのことを
 専門特化して追及しないと倒産するが、役所は下手をすると永遠の
 インターンシップを繰り返している意味では素人集団に近い・・・)

 勿論、役所には利点もたくさんある。権限あれど責任なしのせいか、
自由な雰囲気があり、社会の基本的な構造や組織論を学べますよと。
あと、基礎能力は高く、人柄のよい職員が多いなど・・・。
(これは志願者に向けて個別に語りましたが)

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 優秀な若い彼らが地方公務員をめざすのが現実としたら、この機会に
不透明で不確実な時代にあればこそ、ことあらば彼らが民間にも転する
ことのできる能力向上をシステム化してほしいなと思いますね。
 役所で町興しに携わりたいとの希望者が多いようだけど、経済や経営
の能力、つまりは商売っ気なくして町興しは無理でしょう。

 アメリカのように、公共機関の職員、シンクタンク、NPO/NGO,
大学、研究機関、ロビイストなど「政策陣営の回転ドア」があり、それぞれ
出入りして、能力を磨きながら螺旋階段を上っていける仕組みがほしい。
(役人もさまざまな分野で仕事をし修行した方が優れた行政が展開でき
 ますしね・・・)

 人間、ずっと一か所にいて、身分は安泰だとしたら、人によりますが、
向上心や競争心が無くなり、ひたすらゴール(定年)を待つだけの人間に
なりがちでしょう。これは人材としても惜しいですものね。








東京Station Hotel と虎屋

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東京駅丸の内
北口のドーム
見事に美しい!













 10月1日に東京駅丸の内駅舎が100年前の威容を再現して・・・
現場で直接見ると、煌めく光が眼に飛び込んで、華やかですね~ 
当時の日本がこの駅にかけた深く強い思いが伝わってきて、こんな
見事な空間を大正初期に創造できたことに感動を覚えました。
 
 今日3日には1915年開業の東京ステーションホテルが6年ぶり
に営業を再開したというので、物見遊山に馳せ参じると・・・

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     ホテルのロビー
     は大人の空間






 目的は伝説のBARオークでしたが、5時オープンと同時に満席となり
行列になっていたので、時間が読めずに諦めて・・・。


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ホテルの2階
から駅が見え
て、楽しい~






 
 そして目に入ったのは同じ2階のTORAYA TOKYO。
そうなんですよ、和菓子の虎屋さんが開いたカフェですね・・・。
100年前の東京駅舎内ホテルに、創業480年の老舗・虎屋がお店を開い
たのは、歴史の奥行きを感じて、うっとりします・・・。
48席とのことですが、カウンターが空いていたので入り、軽食をオーダー。

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         カウンター席の
         向うには丸の内
         の灯り,お洒落!











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めでたい
開業日に
お赤飯








シャンパンと赤飯をお願いしました。
元々虎屋さんはお祝い用の赤飯を提供していましたが、このセットには
浅漬けと卵焼きにお吸い物もついてきて、中々のお味ですよ~

 ステーションホテルの1階にもカフェがあり、待ち合わせをするには
最高の場所ですが、虎屋は2階にあって更に落ち着いた雰囲気です。

 ちなみにコーヒー630円、カフェオレ683円、紅茶630円、ビールは
735円。 勿論お菓子の老舗だから和菓子は豊富に取りそろえて
ありますよ~ 駅舎見学の折に立ち寄ってみてくださいね。

 
<虎屋のプロフィール>

 今から480年前の室町時代(1530年代)に京都で後陽成天皇に菓子
を献上して創業。1868年(明治元年)に天皇が京都から江戸城に移ると
同時に、皇室ご用達の虎屋も東京に移転しました。
 現在の当主は17代目の黒川光博さんで、支店をパリに出したほか、
都内の新名所にカフェをオープンさせる大胆な展開を図って、老舗の
暖簾を拡大させ続けています。

 以前、黒川社長に伺った話ですが、例えば羊羹は時代の変遷に伴う
食生活や味の嗜好に合わせて、塩分や糖分の調合を変えながら、看板
商品を作り続けてきたとか。
「伝統を守るということは、時代にあわせてチェンジすること」という話が
実に印象的でした・・・)

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  あと気になる東京ステーションホテルのお値段ですが、
1室30.000円から800.000円までさまざま・・・。
一度は宿泊して、ノンビリお食事した後は、やはり伝説のBARオークで
カクテルの「東京駅」とワインをいただいてみたいですねぇ。











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