熟女はご意見番

2013年02月

三田智恵子は男尊女卑?!

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2月24日に
テニス後の
レストランで



 毎週日曜日は朝から近くのインドアコートでテニスをするのですが、
レギュラーになって早くも30年が過ぎました・・・。
年間契約でコートを借りて会員約10名とゲスト参加者とで費用を分担
しているのですが、もう一つの特徴は毎回、慶応大学のポニーという
テニスサークルから選ばれた男子学生が1年~2年交代でコーチとし
て技術の指導や記録などを受け持ってくれ、今のコーチ・・吉間さんで
17代目くらいになるでしょうか。(写真後列中央)
 法学部の3年生ですが、群馬県の中学・高校ではほぼ優勝を重ねて
きたというセミプロ級の腕前なんですよ~

 ところが、30年続いた日曜練習会のコーチ基準がついに破られる日
がやってきました。
 吉間コーチは法学部の3年生ですが、弁護士志望でロースクールを
受験するため、5月から秋までコーチを休むことになり、代替を探して
いたのですが、決まりましたぁ・・・! 初の女性コーチ”菜穂さん”です。
(写真前列右から2人目) 

法学部の1年生ですが、5歳でラケットを持ち、インターハイにも出場
したという可愛い実力派なんですよ。

 おじさんたちは大喜びで、噂を聞いたのか、この日はゲスト参加者を
含めて練習生が11名集まりました。(コーチ2名を入れると13名なの
で、2面のコートが必要に)
ランチを早退したメンバーがいたので、写真は8名だけですけど・・。

 実はテニス仲間のおじさんたちは長年の願望として、たまには女性
コーチがいいよね~という話が出たり引っ込んだりしてきたのですが、
抑え込んできたのは風紀委員長のお役目をもつ私なんですよ(笑い)。

なぜ反対してきたのかー
 テニスの練習後は、若いコーチ共々コート施設内のレストランで
毎回ビールランチをするのですが、話題は政治や経済を含めた社会の
こと、仕事や会社の経営や恋愛談義から夫婦のトラブルに至るまで、
ガラス張りで何でもありです。
 ある種のサロンを通じて若者に世の中の実情を早めに伝えてきたこ
とは貴重な情報提供で、それなりのお役を果たしてきたと思いますが。
(私は30年間の中で、1000回くらいは参加してきましたか・・)

 ただし、男子学生だから笑って済ませられる話も、女子学生なら、
セクハラになりかねず、私が割って入ることが増えるのは嫌だなぁと
反対してきたのです・・・。
決して男尊女卑ではなくて、むしろ女性を尊重すればこそかな(苦笑)。

 この練習会メンバーには弁護士もいるのですが(写真後列左端)
時折話が脱線して、私から「お出入り禁止」を言われたり(笑い)。
仕事上は人権派といえど、おじさんはおじさんなんですよね~ 

 そんな背景があるとはいえ、男子学生より適性が高い点で”なおさん”
が初代女性コーチに推薦されたことを軽く見る訳には参りませんので、
おじさんたちを見張りながら十分にサポートしてまいりますぞ・・・。
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     早稲グリ送別演奏会の
     終了後に
     杉並公会堂のロビーで








 同じ日の夕方から、今度は荻窪にある杉並公会堂に出かけ、
早稲田大学グリークラブの送別演奏会を聴いてきました。
いわば4年生の追い出しコンサートですね・・・。
 定期演奏会と送別演奏会など、主要な公演はいつも招待状を
いただくので、東京にいる限りはご祝儀やお酒持参で行きます。
 若者の歌はパワーがあり、どこか哀愁を帯びていて、自分の
青春を思い出しながら・・・ウーン、いいですね。感動しますよ~

 愛唱曲集のステージがありましたが、
昴、なごり雪、アカシアの径、君といつまでも、斎太郎節など
何度聴いてもウルウルします。

 なんていった瞬間 「あなたは若い男の子に甘い」という意見が
あることを思い出しました。でも、こういう時には、おじさんたちが
なぜ若い女性に甘いかの心情がよ~く理解できますよ~
 そして女優の森光子さんが東くん他、ジヤニーズびいきだった
ことがとてもよく分かります・・。
話の雲行きが怪しくなってきたので今日はこの辺で(笑い)。

 





手話の学校「明晴学園」の話

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   寒い寒いと言っているうちにも春は近づいているのですよね~
うちの紅梅が満開を迎えています。今年も忘れずにホント偉い!

 それにしても厳しい冬だったから、わが「イケイケドンドン」の姿勢が
鈍りがちでして、フットワークにも影響あり・・・かな(苦笑)。

 そんな中、2月20日(水)に友人からのお誘いで六本木の国際文化会館
に出かけてきました。ACAという慶応OBが多く集まる勉強会です。

「手話の学校をつくる」のテーマで斉藤道雄さんが講演をされました。
斉藤さんは69年に慶応工学部を卒業後、TBSに入社され、社会部の記者
から、「報道特集」のディレクター、「筑紫哲也NEWS23」のプロデューサー
などを歴任。主に医療や生命倫理、精神障害やマイノリティを主要テーマに
番組を作リ続けたジャーナリスト。
 そんな彼が2008年に手話の学校「明晴学園」を誕生させ、校長になった
のはなぜなんだろう?

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      右が斉藤道雄さん
      (国際文化会館で)









  
驚くようなお話を伺いました・・・。

 明晴学園はろう児(耳の聞こえない子)が通う小中学校ですが、
手話を言語とする初めての(!)学校なんだそうですよ~
 それまでのろう児教育は普通に聴こえる子に近づけることを目標として、
「音声言語」によるもので、口の動きに注目させて言葉で理解させようとして
きたのだそうです。しかし音声言語を習得させるのは至難の業で、ろう児教育
は惨憺たる失敗を繰り返してきたそうな・・・。

 斉藤さんはその歴史を変えるために、「視覚言語」(手話)を自然言語として
使い、「人は声でなくても手で話ができる」と、着実な成果をあげ、100年にわ
たるろう教育の失敗の歴史に終止符を打とうとしている。

 ええ~!と思いませんか? 
漠然とながら、手話での教育が普通だと思ってきたのに、つい最近まで手話は
言語とみなされず、ジェスチャーの集合であり、「手まね物まね」の世界にくくら
れてきて、現在もろう児の学校は文部科学省の所管ではなく、厚生労働省の
管轄ということです。

 しかも中学まで手話で教育を受けて努力をしてきた子が、高校に入学しようと
した場合、入学試験での通訳をつけてほしいとの希望を出してみて、
千葉県NO、神奈川県NO, 東京都だけがYESとして受け入れてくれましたと。

 ちなみに、ろう児は1000人に1人位の割合で誕生するのだそうです。
明晴学園での授業の様子がビデオで放映されましたが、子どもたちが手を言語
に、明るく可愛い表情で会話をする姿が、印象的で嬉しくなりました。。。

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 普通にノホホンと暮らしている私たちには知らないことがたくさんあるのです
よね~ そしてこういう世界に身を投じる人がいることに感動し、脱帽しました。

 講演後、斉藤さんとお話をして、筑紫哲也さんのことを伺いましたら、
筑紫さんとNEWS23で一緒に仕事をしたのは3年間だそうで、しかも最後の
協働は2001 年の「9.11 NYテロ」の現場取材だったそうですよ~

 これからもどうぞお元気でご活躍ください!







隣宅で小百合からお登紀さん

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9日、隣家での
千秋與四夫さん





 おととい9日(金)、お隣に住む千秋與四夫さんをお訪ねしました。
普段ご近所の皆さんとは立ち話をするのですが、時折は
1時間前に電話して、燐宅の玄関先でチャイムをピンポーン! 

かってフジテレビの敏腕プロデューサーとして、吉永小百合さんの
ご亭主・岡田太郎さんと並んで数々のヒット番組を作った人です。
(吉永小百合さんは両親から結婚を反対されたため、千秋さん宅
で祝言をあげたのですが、小百合ファンから爆弾を仕掛けるとの
電話で、当日は最寄りの警察が周辺を囲んでいたらしいですよ~)
※そういえば、今でもみどりさんのコンサートには必ず小百合さん
 からの花束が届いていますね・・・。あっという間に無くなるとか。

 千秋さんは昭和6年生まれの81歳。今も妻の歌手・畠山みどりさん
をサポートする他、NHKへの人材派遣会社を経営する現役です。
私が伺った時はお手伝いさんが不在だったので、ご自分で水から
始まり、お湯の温度に拘りながら美味しい日本茶を入れて下さって。
「昨日があり、今日があり、明日があるのだから、何よりも今日の
一瞬一瞬を大事に生きる」という話に、改めてジーンときましたね・・・。
若い時代、「今日」はあまりに当たり前で考えないことですが。
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 昭和を語れる映画監督をお招きし、座学をという相談に行ったので
すが、話は歴史から政治まで様々に展開しました・・・。
 千秋さんは終戦直前まで陸軍幼年学校にいて、もう少し戦争が長引
けば士官学校に行く予定でした。 終戦を迎えた時は13歳ですが
「天皇陛下万歳!」と死ぬことを教えられていたので、子どもとはいえ、
自決を考えていたらしいです。今の北朝鮮と同じだったのですよね~ 
(戦争の時代に生きた人々の様々な苦難の上に日本の今がある・・・)

 その後大学に入ってからは映画監督をめざし、映画館に入り浸って
いたようですが、縁がありテレビの世界に入ることに・・・。
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            4月5月に座学を
            お願いする作家
            の童門冬二先生





 筑紫哲也さんがお元気だった頃の私塾を受け継いで、今年から
再講するのですが、在籍する塾員は10代  20代と若いので、
「過去を知らずして近未来を語れない」筈だからと、まずは歴史から
学ぼうということになりました。
(昨日、今日、明日の連続は個人ばかりか社会も同じですものね)

歌手の加藤登紀子さんが著書の中で語った言葉が的確ですー

私たちの世代は過去の重さの分だけ未来を担う責任があり、
若者たちには未来の長さの分だけ過去を知る必要がある
」・・・。
 
 そのためにまず開講時、歴史小説では日本の最高峰でおいでの
童門冬ニ先生にお願いしたところ、2回の講義を受けて下さり、

4月19日(金)の18時から
「幕末に生きて明治維新の逸材を生んだ吉田松陰は20代にして
 どんな問題意識をもち、どんな行動をとり、何を実現したのか」

続いて5月17日(金)の18時から
吉田松陰に学ぶリーダーの条件」を講義していただくのですが、
若者が関心を示してくれると良いなぁ。

(千秋さんは「えっ! あの童門先生が講義を受けてくれたの?!」
とひたすら驚かれましたよ~・・・)

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 千秋さんとの話は更に広がり、歌手の加藤登紀子さんにまで。
彼女がシャンソンコンクールに出場した折に、千秋さんは審査員として
関わったらしいのです・・・。千秋宅(今の我が家も同じ住所ですが)の
近くに石井好子さんが住んでいらして、お登紀さんが石井さんの指導を
受けていたことも、つながりの一つになったのでしょうか。
(私も石井さんに「弟子にしてください!」と申し出たことがあるのですが、
 「(石井さんの)年齢的に(もう)お弟子さんは受けていないのですよ~」
と丁寧に断られてしまいました・・・苦笑)

 加藤登紀子さん・声も歌も素晴らしいですね。
「百万本のバラ」は恥ずかしながら私の十八番でして、97年の香港返還
に向かう客船の中で、内山田洋とクールファイブが主催したカラオケ大会
で歌ったんですよ~ 懐かしいです・・・。

 ご本人の本物の歌を(ステージで聴いたことはありますが)もっと近くで
聴けることができたら・・・ホント夢ですね~

<童門先生の座学は20代が優先ですが、もしご希望がありましたら、
    年齢を問わず、 mita-news@rosenet.jp  までご一報ください>
  




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