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講義のあと
童門冬二
先生(中央)
を囲んで・・
昨年から準備をしてきた「途中塾」が4月19日(金)にようやくスタートしました。
キックオフを飾っていただいたのは歴史作家の童門冬二さんです。
気力ある若者はそのエネルギー故にひたすら前進を望みますが、
「過去を知らずして未来を語れない」から、幕末に生きて、命がけで明治維新の
道のりを拓いた吉田松陰をテーマにお話を伺いました。
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正式に登録している塾員は(狭き門のため)6名、自慢の息子たちですが、
この日は「公開途中塾」として、若者13名と応援団9名の22名が集まりました。
(主役は慶応高校と麻布高校の2年生を最年少に、早慶の学生や20代の
OBで政治家志望が多いことが特徴。但し途中塾は政治塾ではありませんが。
応援団には声楽家からテレビ朝日まで・・華を添えていただきました)
ご存じ童門冬二先生は、私が都庁に在職中、企画調整局長、政策室長として、
美濃部亮吉都政の中枢を動かしていた最高首脳でおいででした。
(木端官僚で知事室をウロチョロ出入りしていた私が遠い記憶におありのようで
お願いの手紙にOKいただいた時と同様に感激しました・・・)
童門先生は昭和2年
生まれの江戸っ子
明晰な頭脳に感嘆!
印象に残った話をかいつまむと・・・
①吉田松陰は赤ん坊のように美しいスピリットを持ち続け、何度も痛い目に
遭っているが、そのつどマイナス要因をプラスに変えていった。
②松下村塾で学びあいながら、萩を変え、長州を変え、日本(徳川幕府)を
変え、国際社会を変えようとしていた。
塾で考えるきっかけを生み、議論してもらい、肩を押したいと考えていた。
③「飛耳長目録」(松陰のメモ帳)にあるが、日本の国防のために九州から
青森県の弘前まで歩いて、現地を見たうえで論を唱えた実証主義者、
その事件や現象がなぜ起きたのか、なぜ防げなかったのか、解決方法は
正しかったのかを政治と結び付けて考え、議論してほしいと訴えた。
④歴史や人物は円形を描いて、東西南北から眺めてみよう。
その結果、評価や考えは流動するもの。だから、頭ごなしに歴史観や
人物観を否定するのは間違い。自分はこう思うと議論をすればよいのだ。
⑤松陰は孟子と民のつながりを、アレンジ(脚色)して語っていた。
為政者の心構えとして、「君は船なり、民は水なり」と思え。
(良い政治をすれば水は静かに船を浮かべるが、悪政なら水は怒って
船をひっくり返す)
⑥大名(政治家)も公家(官僚か・・)も改革の役には立たない。
役に立つのは草莽だけだ。(国民重視)
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講演後、童門先生はお帰りになり、参加者による懇親会を開いて夜更け
まで議論の輪が広がりました。
「将来の総理大臣をめざしている」という学生や、社会派の弁護士志望、
「今の政治家って何しているの?」と疑問を投げかける高校生などに、
初めての応援団は驚くばかりのようでしたが、「日本の将来に希望を感じ
ました」とか、「途中塾はもしかしたら第二の松下村塾になるのでは」など
嬉しい反響をたくさんいただいて、責任が一層重くなりましたね・・・(苦笑)。
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「途中塾」とは・・・
2006年4月、早稲田大学(政経)の院・公共経営研究科の修了生12名
が集まって開いた勉強会で、筑紫哲也さんが塾長だった。
2008年11月に筑紫さんが逝去し「お別れの会」の後で自然消滅したが、
彼が国の行く末を憂いていたことと、最期まで若者に期待を寄せていたこと
から、筑紫さんの松明を絶やすまいと塾の再興を考え、2012年秋から
仮開講してきた。
現在の正式な塾員は大学の枠を超え、慶応高校、慶応大学、早稲田OB,
東大OBの少数。(メンバー名は非公開)
将来が不透明な社会の中でも生きぬいて、『非連続のジャンプ』ができる
トップリーダーをめざし、様々な領域で日本の再生に力を発揮する期待を
担う若者集団。
内容は「理論・現場・キーパースン」の3ポイントから、学校では教えられな
い特別な講師による座学や、現地見学、インタビューなどをプログラムに組み、
個人にはそれぞれの進路に応じた指導者やサポーターを紹介する。
(私流の言い方をするなら「志の高いイケメン」を集めるジャニーズクラブ
みたいなものですよ~)
次回は5月17日(金)の午後6時から、
童門冬二先生の座学、2回目の開講を予定。