熟女はご意見番

2013年04月

筑紫哲也さんの松明を塾で

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講義のあと
童門冬二
先生(中央)
を囲んで・・




 昨年から準備をしてきた「途中塾」が4月19日(金)にようやくスタートしました。
キックオフを飾っていただいたのは歴史作家の童門冬二さんです。

 気力ある若者はそのエネルギー故にひたすら前進を望みますが、
「過去を知らずして未来を語れない」から、幕末に生きて、命がけで明治維新の
道のりを拓いた吉田松陰をテーマにお話を伺いました。
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 正式に登録している塾員は(狭き門のため)6名、自慢の息子たちですが、
この日は「公開途中塾」として、若者13名と応援団9名の22名が集まりました。
(主役は慶応高校と麻布高校の2年生を最年少に、早慶の学生や20代の
 OBで政治家志望が多いことが特徴。但し途中塾は政治塾ではありませんが。
 応援団には声楽家からテレビ朝日まで・・華を添えていただきました)

 ご存じ童門冬二先生は、私が都庁に在職中、企画調整局長、政策室長として、
美濃部亮吉都政の中枢を動かしていた最高首脳でおいででした。
(木端官僚で知事室をウロチョロ出入りしていた私が遠い記憶におありのようで
お願いの手紙にOKいただいた時と同様に感激しました・・・)

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       童門先生は昭和2年
       生まれの江戸っ子
       明晰な頭脳に感嘆!







印象に残った話をかいつまむと・・・

①吉田松陰は赤ん坊のように美しいスピリットを持ち続け、何度も痛い目に
 遭っているが、そのつどマイナス要因をプラスに変えていった。
②松下村塾で学びあいながら、萩を変え、長州を変え、日本(徳川幕府)を
 変え、国際社会を変えようとしていた。
 塾で考えるきっかけを生み、議論してもらい、肩を押したいと考えていた。
③「飛耳長目録」(松陰のメモ帳)にあるが、日本の国防のために九州から
 青森県の弘前まで歩いて、現地を見たうえで論を唱えた実証主義者、
 その事件や現象がなぜ起きたのか、なぜ防げなかったのか、解決方法は
 正しかったのかを政治と結び付けて考え、議論してほしいと訴えた。
④歴史や人物は円形を描いて、東西南北から眺めてみよう。
 その結果、評価や考えは流動するもの。だから、頭ごなしに歴史観や
 人物観を否定するのは間違い。自分はこう思うと議論をすればよいのだ。
⑤松陰は孟子と民のつながりを、アレンジ(脚色)して語っていた。
 為政者の心構えとして、「君は船なり、民は水なり」と思え。
 (良い政治をすれば水は静かに船を浮かべるが、悪政なら水は怒って
 船をひっくり返す)
⑥大名(政治家)も公家(官僚か・・)も改革の役には立たない。
 役に立つのは草莽だけだ。(国民重視)

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 講演後、童門先生はお帰りになり、参加者による懇親会を開いて夜更け
まで議論の輪が広がりました。

「将来の総理大臣をめざしている」という学生や、社会派の弁護士志望、
「今の政治家って何しているの?」と疑問を投げかける高校生などに、
初めての応援団は驚くばかりのようでしたが、「日本の将来に希望を感じ
ました」とか、「途中塾はもしかしたら第二の松下村塾になるのでは」など
嬉しい反響をたくさんいただいて、責任が一層重くなりましたね・・・(苦笑)。
 
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「途中塾」とは・・・

 
 2006年4月、早稲田大学(政経)の院・公共経営研究科の修了生12名
が集まって開いた勉強会で、筑紫哲也さんが塾長だった。
 2008年11月に筑紫さんが逝去し「お別れの会」の後で自然消滅したが、
彼が国の行く末を憂いていたことと、最期まで若者に期待を寄せていたこと
から、筑紫さんの松明を絶やすまいと塾の再興を考え、2012年秋から
仮開講してきた。

 現在の正式な塾員は大学の枠を超え、慶応高校、慶応大学、早稲田OB,
東大OBの少数。(メンバー名は非公開)
 将来が不透明な社会の中でも生きぬいて、『非連続のジャンプ』ができる
トップリーダーをめざし、様々な領域で日本の再生に力を発揮する期待を
担う若者集団。

 内容は「理論・現場・キーパースン」の3ポイントから、学校では教えられな
い特別な講師による座学や、現地見学、インタビューなどをプログラムに組み、
個人にはそれぞれの進路に応じた指導者やサポーターを紹介する。
(私流の言い方をするなら「志の高いイケメン」を集めるジャニーズクラブ
  みたいなものですよ~)
 

次回は5月17日(金)の午後6時から、
童門冬二先生の座学、2回目の開講を予定。







 

木曽福島⇒山梨の古民家へ

 飛騨の白川郷を訪れた翌日9日は、下呂の若者に運転を
お願いし、木曽谷を経由して高遠の桜を見ながら目的地の
山梨に向かいましたが、木曽福島では30年思い描いてきた
夢が消え去った瞬間も経験して・・・これが人生かな(笑い)。

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圧巻・・木曽の
寝覚めの床













 私は父親が長野県の公務員だったので、3年に一度くらいの
頻度で転勤があり、それに伴い家族は各地を転居していました。
子どもたちは学校も変わる。いじめられまいと強くなりました(笑い)。
 伊那小学校入学⇒大町小学校卒業⇒木曽福島中学校入学・卒業、
⇒その後高校は片道2時間かけて松本に進学。青春でしたね~

 その木曽福島に降り立ったのは、考えてみれば数十年ぶりだった
んですよね~ この30年間、いつか行ってみたいなぁ、行ったなら
中学の同級生だった吉村君の実家「吉村味噌店」を訪ねて、そこで、
みんながどうしているかを聞いてみよう・・・と。

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    木曽の名酒「七笑」
    の酒蔵と本店












 木曽福島は田舎町だけど、それなりに変化していましたね~
街の中で「あのぉ、昔、吉村という味噌屋さんがあった筈ですが、
ご存知でしょうか?」と 何人にも聞いて歩きました。
 でも「えェ・・、聞いたことがないですね~駅の近く? 味噌屋さんは
ありませんよ~」 と芳しくない返事ばかりです。

 ランチにしようと入ったお蕎麦屋さんでも尋ねましたら、
「だいぶ前にありましたよ~ でも、30年くらい前に店を閉じて家族で
 東京に行ったみたいです・・・」 (えっ、東京へ来てたの?!)
「店は、今あそこの駐車場になっている場所ですよ」

・・・オヤオヤ、私たちが乗ってきた車を置いた場所じゃーないの!
運命が思わぬ形でつながった感じで、不思議な瞬間・・・。

 そうか、吉村君を訪ねて、いつも同じ列車で松本まで通学していた
初恋の人、岩井K志君がどこにどうしているかを知りたいというのが
長年の思いだったけど、30年後はあまりに遅かった・・・。
今や生死も不明でしょ。肝心なところで、私は見通しが甘いよね~ 
(苦笑)

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山梨市内の
H・KO宅で







 夕方4時過ぎに、20代からの知り合いが住む山梨の古民家に
着きました。(1Fのテラスからは富士山が真正面に)

 私は東京の友人と下呂の若者を同行して、この家の主である
H・KOさんを訪ねたのですが、松本からも共通の友人がやってきて
・・・まあね、私のお得意、ごっちゃ煮の集まりになりました。

 H・KOさんは江副浩正さんが起業したリクルートに百名少しの
創業期に入社し、やがて「住宅情報」の事業部長となって(不動産に
強い関心を持っていた)江副さんを支えてきた元側近です。
「僕は日本の中で1,2位を争うほど住宅を数多く見てきたと思うよ」と
言うだけあって、建築物を見る目は確かでしょうね。

 そんなH・KOさんが退職後に凝ったのは、古民家で、NPOを立ち
上げて、全国的な活動をしています。
山梨に建てたこの古民家は、新潟から購入して大型トラックで移設を
したもので、建坪は100以上ありそう。(数千万円かかったのでは?)

 それにも増して、建具や家具や、置物一つに至るまで遊び心に満ち、
人生のお贅沢、ここに極めりで、こうありたいなぁの理想です。
 元々は京都の料亭の息子だから、料理も得意で、女中頭の私に向
かって「腕前を見せてもらいましょう!」などと上から目線でしたよ~
(苦笑)

 泊まり込みの5名が、それぞれ持ち寄った食材で料理をして、味三昧
の食事をいただき、地酒を楽しみ・・・深夜までの宴会が延々続きました。
話題? あまりに刺激的な話が出た(出した?)ので、内緒ですよ~

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     高い天井と広い空間
     は大人も遊ばせます













桜華やぐ飛騨の白川郷へ

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いつか見た・・
日本の原風景







 去年の暮れ、衆議院選挙に出た知り合いの若者を応援に下呂を訪れてから、
もう一度、下呂温泉でのんびりと・・・と考えていました。

 それまで、岐阜県と聞いて思い浮かんだのは、柳ケ瀬ブルース、奥飛騨慕情、
長良川艶歌、そして(私の好みでない)野田聖子さんでしたが・・(笑い)。

 で、4月8日に名古屋経由で美濃大田に入り、若者父子に迎えていただいて、
パパさんの案内で長年の憧れ、白川郷(白川村)に行きました。
周囲の山には雪が残り、でも桜が三分咲きの美しい光景の中に、何度もテレビ

や雑誌でみてきた世界遺産(1995年)がありました。懐かしい原風景よね~

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 白川村の萩町には、大小合わせて114戸が残されており、
今から150年前の江戸時代の幕末から昭和初期にかけて造られた家屋
ですね。
 三角屋根の合掌造りは豪雪地帯だから雪が積もりにくいように工夫され、
傾斜は50~60度あって、釘を使わない工法に驚かされます。

 家屋の中心にはオエと呼ばれる居間があって、囲炉裏で薪を燃やす煙
が屋根裏(養蚕作業場)まで上がり、防腐や防虫効果をもたらしたそう。
この分野での人の英知は、今より洗練されていたものが存在していたの
でしょうね。

 白川郷の風景で感じたことは、私たちは便利で、清潔で、スピード感の
ある暮らしに慣らされてきたけど、肩を寄せ合って人生を過ごすコミュニティ
は風化して、個々に点在するタコツボ生活に落ち込んでいるのよね~
得たもの、失ったもの・・・どちらが良いのかは断言できないけど、大きな
ものが失われ、人が孤独に生きていることは事実かな・・・と思います。

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    下呂温泉の
    旅館・翔月で
    (朝も豪華)
    










  当日は下呂温泉の旅館・翔月に泊まり、若者とパパさんをはじめ
後援会長さんやパパ友さんと一緒に宴会をさせていただき、初対面の
かたもおいででしたが、会話も食事もお酒も最高のひと時でしたね~

 この宿は(昨年泊まった)下呂観光ホテルの別館でしたが、温泉は勿論
ホスピタリティも素晴らしくて堪能できましたよ~ 

皆さまもぜひどうぞ!・・・とお奨めです。

「翔月」:
〒509-2206   岐阜県下呂市幸田1113   TEL 0576-25-7611






熟女が半鐘を打ち鳴らす話

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 私のつたないblogを愛読くださっている友人から大変興味深い
内容のレターをいただきました。以下↓↓

 「先日孫のピアノ発表会で武蔵小金井の楽器店の小ホールに
出かけました。

主催者側の男性が『個人情報保護の観点から撮影はご自分の
お子さんのみで
お願いいたします』としたり顔で言いました。

もちろん集合写真の撮影もありません。
自分の娘の発表会の
ドレスオンパレードな集合写真が貴重な遺物に思えました。

 いつか羽田さんがおっしゃってた、大規模な団体のみに適用
だったはずの法律の
拡大というか、拡小解釈ですね。この男性の
論理でいけば、TVのニュースで人ごみも
映せなくなりますよね。
そういう風潮を作ることが自分たちの首を絞めることになる、と

私たち日本人は気づかないで周り5mのことだけを考えている・・

⇒凄いというか、怖いというか、(上から目線になるけど)、
 大衆は無知にして、自ら断崖絶壁に向かうものかもしれないですね。

 元もと「個人情報保護法」は
①5000人以上の名簿を扱う事業主に営利目的の使用を禁止して
 管理上の責任をもたせ、
②マスコミによる人権侵害を防止しようとしたものの筈ですが、
 なんだか知らないけど、子どもの学校の名簿も、地域住民の
 名簿も作らない風潮を生んでいますよね~

で、集まりの写真も個人限定って・・誰が規制しているの?!

 いっそのこと、そんなに個人情報云々で自分を隠したいのであ
れば離れ小島に行ってもらうか、街中であればマスクしてサン
グラスして、コソ泥風に頬被りするか、ユルキャラのぬいぐるみ
状態で抜き足差し足で暮らしたらどうなのでしょうか(笑)

※こういう場合、できれば会場の誰かがNONを言えればと思い
 ますけど。ダンマリはどうなんでしょうか。決して格好よくは
 ないですよね~ 
 北朝鮮でないのだから、しょっ引かれることはないですしね。

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 彼女からは併せて質問をいただきました。 以下↓↓

 「今、憲法を変え、自衛隊を合法的な国軍にして強力な日本にしよう
とする動きがあります。友人たちからも『だってやっていることは軍隊じゃ
ないの』と。私もそちらに傾きつつありました。
でもそれは歴史をみるととても危険なことに思えるのです」


⇒たまたま4月6日に、防衛大学の教授である知人を講師にお願い
 し、現状をどう見るか勉強会を開きました。

 防衛省関係の幹部が何を語るか・・、皆さんはどう予想されるで
 しょうか。多分憲法を改正して自衛隊を軍隊に変え、正々堂々と
 行動できるよう認知してもらいたいのでは? と思われるかな。
 
 この教授の考えを参考に個々人が考えてみてほしいのですが、
彼の冷静な見解は、私のボスだった筑紫哲也さんとほぼ同じで、とても
安堵いたしました。


⇒結論は憲法を変えずしても、今の軍備で必要な防衛ができること。

(諸外国から見たら自衛隊は軍隊だから、憲法を変える必要はない)

自衛隊は戦後約70年、どの国とも戦争せず、誰一人殺さず、

自衛官は一人も殉職せず、防衛をしてきたのだから、あと30年間

このままで平和を守れたら100年戦争をしなかったスイスや
スウェーデンと並ぶ世界のビッグ3になり、
畏敬の眼で見られる。
それが理想だ。

(国民は歴史を忘れているが、終戦以前の70年は戦争の繰返しだった)

そもそも日本国憲法は人権規定が優れていて、アメリカから見ても
世界一の憲法と評価されて
いる。それをなぜ変えたいのか?


 石原慎太郎は盛んに憲法を改正して軍隊をもち、戦争を辞さない

ような発言を繰り返しているが、ああいう感情的な人には最も自衛隊
や憲法
に触れて欲しくない。市ヶ谷で割腹した三島由紀夫も同じだ。

 あくまで冷静で沈着で、国民全員の生命を最優先する人でないと、

自衛隊の指揮はできない。自衛官は国民の平和のためになら喜んで
働くが、誰一人戦闘を望む者はいない。


 ただ、最近の国内世論や政治家の発言、近隣諸国の動きには、
はじめて危険な臭いを感じているが、さりとて憲法改正や自衛隊の軍隊化
とは切り離して考えるべきだ。

 防衛一筋に生きてきた人のエッジの効いた話を皆さんはどう感じ
られましたか?




 

みずほ銀行の白看板とは

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港区港南の
NTT東日本
ビルから・・






 上に写る真白い看板・・・ちょっと淋しいですよね~
ここは、品川駅港南口(港区港南2丁目)を出て左手間もなくの場所にある
大きく立派なNTT東日本ビル。ここの1階には、つい2月までみずほ銀行が
入っていました。
 
 ところが、先日久しぶりにこちらに出かけたら、何と消えていたのです・・・。
ありゃりゃ~と思わず駆け寄りました。

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   営業終了の
   お知らせが
   









 JR品川駅には高輪口(港区高輪3丁目)と港南口があり、
1日の乗降客数は約120万人という巨大な駅です。

 高輪は元々は大名屋敷のあった住宅街であり、プリンスホテルが
並ぶ派手やかな表舞台ですが、港南側には新幹線が停まり高層の
オフィスビルが建ち並んでいる時代を映すところなんだけどね~

 ある意味都心の最先端ともいえる場所から、みずほ銀行の大きな
支店がなくなった意味を、どう捉えればいいのでしょう。

 世の中はアベノミクスがどうチャラと盛り上がっているのですが、
現実はどうなんだろう。何となく「張り子の虎」を連想するのですよね。

個人的な不安が的中しないと良いのですが・・・。





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