熟女はご意見番

2013年09月

グリーOBとマエストロの円熟

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 稲門(とおもん)グリークラブという男声合唱団があります。
名前から推察できるように、早稲田大学グリークラブのOBが集う
グループで、現在1500名もの登録があるとか。

 22日には彼らOBの演奏会に行きました。
会場は東京でも1,2位を争う名門のサントリーホールで、指揮者は
グリーとは40年前からご縁がある炎のマエストロ・・小林研一郎さん。
若くは去年の卒業生から上は80歳までの150名が歌いました。

 3年前から計画をして、2年前にコバケンさんのOKをもらい・・・、
ようやく実現したステージで 「水のいのち」。男声合唱の名曲~

 9月10日に、小林研一郎さんと夫人の桜子さんと私の3人で
食事をさせていただいたのですが、その時、私が小林先生に、
「現役の歌とOBとはどこが違いますか?」とお尋ねしましたら・・・
「智恵子さん、歌で踏んできた階段の数が全然違うからね~」との
お返事でした。

 ナルホド・・・その通りでしたね~
学生の頃から歌うことに洗練されてきたおじ様たちの合唱は、
ド迫力がある世界でしたし、ボリュームだけではなく、彼らの人生や
喜怒哀楽がミックスして、聴き手の心に響きわたりましたね~
 あとで、聞いたら、歌うOBたちも感無量で涙を流しながら歌った
そうですよ~

 アンコールは、コバケンさんがピアノを弾いて、ご自分が高校生の頃に
作曲した『藤棚の下に私は眠る』をOBグリーが歌い、
2曲目はピアニストの伴奏、グリーのバックコーラスでコバケンさんが
『アカシアの径』をソロで歌いました。会場は割れんばかりの大拍手!!
(勿論マイクなしでサントリーホールに響きわたるのです)

小林研一郎さんは藝大の指揮科前に作曲科を出ておいでだし、
  ピアノが素晴らしく上手です。 そして声に独特の艶がある!
  彼が歌う美空ひばりの「悲しい酒」は絶品ですよ~
  しかもドイツ語で歌い、2番に入る台詞もドイツ語・・・。
  ノリノリの時でないと聴かせていただけませんが。


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     コンサート終了後の
     ステージにて。
     一緒に聴いた友人と。




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打ち上げの会場で
右手にコバケンさん







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     この時ばかりは
     良い男が大騒ぎ









  
 打ち上げにも参加させていただきました。
会場はグリーOBの150名+アルファで大賑わいでした。
 様々なゲストの紹介やスピーチの後で、後半にコバケンさんの
挨拶がありましたが、いつもながらお話もハートフルですね~

 当日の舞台までは相当厳しい指導をされたと思いますが、
彼は演奏後は大きな賞賛と宝石のように細やかで綺麗な言葉を
用いて演奏者をねぎらい華を添えます。
 音楽を通じて、人をどう感動させるかに徹してきたベテランの
スピーチ・・・そう簡単には真似ができませんけどね・・・・。






早稲グリ・諏訪コンサートで

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 私の早稲グリ応援は今も続いています・・・。
 8月には北軽井沢の夏合宿を観に行って、9月15日には信州茅野
での諏訪公演に、地元での誘致に頑張った早稲田OG(女性県議)の
応援をかねて出かけてきました。

 今のクラブには1年生を含めて100名以上が在籍していますが、
こういうステージには40名くらいが出演し、ある種の地方旅行として
先輩が迎えてくれるし、打ち上げで美酒に酔えるので、団員には人気が
あるみたい。個人へのギャラはないそうですがクラブには入るのでは?

 曲目は愛唱曲集として、熟年がうるうる喜ぶ歌の数々です。
「見上げてごらん夜の星を」、「少年時代」、「宇宙戦艦ヤマト」、「昴」、
「君といつまでも」、「アカシアの径」、「ふるさと」など。
あとは、外国の歌を言語で歌い、北川昇の組曲「道程」も・・・。
グリーの歌はどんなに長い曲だろうがすべて暗譜。これは中高年には
中々真似ができません・・・。 若者はやっぱ凄い!

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終演直後に
茅野市民館
ホールにて






 一緒に聴いていたグリーの元学生指揮者や著名な指揮者の夫人から
は歌唱力にややマイナーな評価を受けました。
そうですね~ 若者のピュアーな歌声はいつもと変わらず素敵ですが、
音程が一部不揃いで、ソロの声量が遠慮がちでしたか。
敢えて言えば、指揮者のリーダーシップがやや弱めなのでしょうか・・・。
今年の学生指揮者は私のふるさとー松本深志高校の出身で、理工学部
の4年生。先輩が上手に声をかけてもう少し引っ張れると良いですね~

 上の写真は終演後のロビーで、ノビノビ歌う40名です。
もう緊張感がないので、ボリュームもあり、音程も正確でハモリましたよ~
本番ステージ前にビール一杯口にして・・・なら自然に歌えるかなといつも
思いますが、酒飲みの不謹慎な発言で失礼しました!

 現役グリーには原則、先輩は口を出さないそうですが、ある種スランプの
時期には言葉を選びながら自信を与えられるといいなと思いますね~

 さて、どんな方法があり、どうすれば良いでしょうか。

この後は「稲門グリークラブ」(OB合唱団)のコンサートを書きます。








原発事故のルポ 『避難弱者』

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六本木の
政策研究大学院
大学で(写真右は
相川祐里奈さん)





 福島の原発事故は近くて(でも心情的にはやや)遠い問題ですね~
2011年の3.11。その月の末、知り合いのご夫妻が心配で、郡山までとんで
行きましたが、今も原発近くまでは行けないままに暮らしています・・・。

 今月の11日、ある人の紹介で相川祐里奈さんという若い女性ジャーナリスト
の著作『避難弱者:あの日、福島原発間近の老人ホームで何が起きたのか?』
(東洋経済新報社)出版記念の講演会に出てきました。

 相川さんは1986年愛知県生れ。慶應大学を卒業後、読売新聞の記者として
勤務し、2012年3月、国会に設置された東京電力福島原子力発電所事故調査
委員会(国会事故調)に事務局調査員として参加。
 解散後はフリーになって活動し、この8月にこの本を出したばかりです。

≪内容は≫

 原発から爆発音が聞こえた
 放射線が飛び交う中、自力での避難が不可能な老人を守るため
 自らの危険を顧みず、老人に寄り添った介護士たちの
 奮闘と葛藤を克明に描き出した感動のルポ です。

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 当日は福島県社会福祉協議会から老人福祉施設協議会の関係者も参加し、
パネラーとして生々しい近況報告をしていただきましたが、
近隣の市町村の除染は3%から5%しか進んでいないこと、ローカルな交通も
殆ど放置のままと聞いて、「マサカ!」と驚きました。

 交通の他、街のインフラ、コミュニティ、店、病院などが戻らない以上、
例え帰宅しても良いよとOKが出ても、「元気な高齢者」しか帰れないのが現実。

 9月8日付の毎日新聞によると、
この8月末現在に至る福島県の「震災関連死者」は1539 人となり、直接死者
の1599人とほぼ同数になったそうです。

 まだまだ原発の汚染水が垂れ流されている状況にあるのに、東京オリンピック
を誘致するために、「完全にコントロールできている」なんて総理大臣が世界に
公言して良かったのでしょうか?
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 話は変わりますが、相川さんはまだ26 ~7歳位のお嬢さんですが、大新聞社を
辞めてまで福島のテーマに取り組んで、何ともアッパレな若者ですね~
 私は今の活動上、若いバリバリに会うことが多くなってきましたが、最近はこう
いう凄い仕事人が増えてきました。
 決して「今の若いもんは・・・」なんて簡単に言っちゃ~いけないですよ~
 
 



自衛隊の最高司令官の元へ

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防衛省の
正門内で









  この前の記事で書いた市ヶ谷記念館の見学を終えて、特別に防衛省

メインの本館に入るには、改めての手続きが必要となりました。
サスガに日本を防衛する本拠地に入るのは、事前の手続き(個人情報の
申告)を含めて厄介でしたね~ 当日は顔と名前の照合をし、本館の入口
では国際空港並みの手荷物検査もありでした。

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 今回のスペシャルな表敬訪問先は防衛省の統合幕僚長でした。
このお役は陸・海・空自衛隊の組織それぞれに幕僚長がいるのですが、
その3名を束ねる制服組のトップで、この統括組織が担う職務について、
大臣の指揮命令はすべて統合幕僚長を通じて実行される要職ですね。

2006年からの制度で統合幕僚監部が組織化され、今は第4代目。
  日本の自衛隊組織は文民統制(シビリアン・コントロール)を原則に、
  文民の政治家が統制をしているため、彼のような制服の最高司令官
  が自衛隊の最終決定権をもつことはありませんが・・・。

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防衛大学のG教授が普段会えないキーパーソンに会えるように計らって
くれた理由は、自衛官24万人の最高指揮官になる人とはいかなる人物か
を未来を担う若者に見つめてほしいということだったと思います。

 10名以上の制服秘書官が立並んで出迎えていただく中、恐るおそる広い
幕僚長室に通されたのですが、主は驚くほどにフレンドリーでフランクな
空将でした。
 同行した若者が紹介されると・・・昨年の衆議院選に出ましたという25歳、
防衛に関心がありますという慶応高校2年生、内閣総理大臣をめざして
いるという早大生などに「君たちは本当におかしな人たちだね~」と笑顔。
 話も冗談交じりで、最後の記念写真の際も「僕は女性とだけ写真を撮る
ことにしています」というので、私も思わず「はい、ではお兄さんたちはお帰り
ください!」なんて・・・ね(笑い)。

 話の内容はとてもバランスの良い考え方で、平たい表現を許されるなら
軍人ともいえるお方なのに、違和感は全くありませんでした・・・。
 若者たちの積極的な質問には本音を出してお答えいただいた雰囲気の
中で、幕僚長は激務の間に「珍客」を楽しんでいるかのようでしたね。

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 ただ、幕僚長も参加者も楽しく盛り上がったまでは良かったのですが、
約束の25分を大幅に上回ってしまったことには反省が残りました。
質問の頃から制限時間を意識していた防衛大の教授は「もう時間があり
ませんので・・・」と何度も口にされたのですが、ブレーキが効かず・・。

 記念写真(上)の終了で退散すべきだったところ、幕僚長とツウショット
を希望する人、名刺交換したい人が出て、せめて1人1分の自己規制
が望まれたのですが、おしゃべりする人もおり・・・。
多分20分近く予定が延長となって、次のアポイントで待機する制服を着
た幹部自衛官や秘書官には多大なご迷惑をかけてしまいました。

 最後どうしたかって? 何せ付添い役の熟年までが立話を続けるので、
若者の手本には?? 最初の声掛けには気付かないから、やむなく
声を大きくして「〇〇、帰るわよ!」でようやくストップしました(苦笑)。

 こういう場面の対処は難しい。でも
①そこが日本の防衛を担う心臓部である自覚があれば、
 自分たちの存在より遥かに優先される決裁待ちを予想できる筈です。
②仮に、訪問先の主役がタイムオーバーを許容する雰囲気であろうが、
 退散は(個人宅や会社への訪問と同じく)訪問側が切り出すべきこと。
③私自身が元官僚なので分かるのですが、お殿さまに向けた来客の
 空間と時間の長占有は、コントロール機能を担う秘書官にはとても
 困った事態だということの認識は民間人には無理でしょうか?(苦笑)
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当日の参加者の大半は20代の若者でしたので、彼らにはケーススタディ
として習得できるように、翌日、ここが問題でしたと具体的に伝えました。
何せ、社会のトップリーダーをめざすのだから、この事例を理解できないよう
では 『リーダー目指すの止め~!』ですものね。

若い時代に組織で訓練された経験がないまま、年齢を経た人は何歳に
なろうが、自分の関心が優先となり、周囲の空気を読むことが難しいのだ
ろうと感じています。 (勿論こういう人には他の得意技がありますよ~)
どんな分野でも鉄は熱いうちに打て・・・でしょうか。

※ご本人はまずかったなぁと反省をしているので、後進のために敢えて
 本件エピソードを公開させていただきました(笑い)。




 



靖国と市ヶ谷記念館の見学

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市ヶ谷にある
防衛省の全景
(省内の模型)





 9月3日(火)は暑くて長い1日でした。
前々から考えていた「防衛を考える若者たちの会」(塾生による勉強会)
の企画ですが、防衛大学の教授の計らいで、朝9時、九段の靖国神社
に集合して、博物展示館「遊就館」の展示を見た後で、午後からは
市ヶ谷に移動。防衛省の見学プログラムを夕方まで現場体験しました。

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 靖国神社ではお参りはしていません。若者が中心でしたが、思想信条の
自由を尊重して、理由なく頭を垂れる行為は避けたいからでした。
遊就館は戦争博物館といえる場所であり、「遊就」とは「高潔な人物に交わり
学ぶ」という意味だそうです。
 膨大な展示を見ると、日本の国がいかに戦争を繰り返してきたかがよく
分かります。(国民のDNAとして好戦的な怖さを感じますね~)

 また、第二次世界大戦の終盤で日本の軍部は戦局について国民に、
「勝っている」と虚報を流したことは明らかですが、この日のガイド役を引き
受けてくださった文庫室長は『誤報』という表現をした点で、客観性の軸足が
やや戦争やむなしに傾いている印象はありましたし、1945年8月15日の敗戦
の話はサラリと素通りしたような印象でした・・・(苦笑)。

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               市ヶ谷記念館












 今は防衛省の隅に移設再現されている市ヶ谷記念館(上)は、
元々陸軍士官学校として建設され、昭和16年には大本営陸軍部、
陸軍省、参謀本部としての拠点であったところです。
 
 敗戦の1945年8月には、米軍に接収され、大講堂は1946年から
極東国際軍事裁判(東京裁判)の法定として使われたという歴史的
な場所

(ここで開戦時の東条英機首相など、A級戦犯とされた人々が裁かれ、
 絞首刑7名、終身刑16名などの実刑を受けています)

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裁判当時の
写真ですが、
建物内部は
ほぼ当時の
まま。











  
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         写真の中央は
         若き日の学生
         森山眞弓さん
         











  元厚生官僚で、文部大臣や法務大臣を務めた森山眞弓さんは、
当時東大の学生で、裁判の通訳をしていました。
1927年生まれで、現在86歳におなりです。

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記念館内の
旧陸軍大臣室









  もう一つ、この建物が舞台になったのは1970年(昭和45年)の三島事件
ですね。11月25日、当時45歳だった作家の三島由紀夫が盾の会の同志と
共に(当時置かれたていた)陸上自衛隊 東部総監部の総監室に押し入って
総監を人質に立てこもり、その後、今もあるバルコニーで自衛隊に決起を
促す演説をして、それがヤジや怒号でかき消されると、割腹自刃をして死に
ました。当時、総監を助けようとした自衛官に向けた刀傷が室内に、生々しく
残されています。

 1970年といえば、70年安保闘争の時代。世の中大荒れで、こういう事件が
置きるつど職場の仕事がストップして、皆でテレビに釘付けになっていました
ね~(笑い)。

≪後日談≫

 3日の見学には高校生を含む学生など若者8名と、PTA的な大人3名に、
 引率の大学教授と、合わせて12名が参加しました。
 あとで聞いたら、一学生の両親や、某男性の夫人は、身内が靖国や防衛省
 に行くと聞いて 「いつから右翼になったの?」と心配したそうで、皆で夕食
 をとりながら笑ってしまいました。

 まだまだ大半の国民は防衛を考えるだけで、右翼を連想するのですね。
 冷静に考えると、イギリスのウイリアム王子は今英国軍隊に所属しており、
 アメリカの大統領も、軍事経験のあることが暗黙の条件といえるほど、
 いずれも国の根本に防衛があるのですが・・・。
 本当に日本人は防衛(戦争)アレルギーが強く、その割には現政権の右傾化
 には無関心を装っている・・・。
 このチグハグさをどう理解したら良いのでしょうか。




 



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