熟女はご意見番

2013年12月

加藤登紀子さん古希を歌う

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    歌手の加藤登紀子さん(正確に言えばお姉さまで、事務所社長の加藤幸子さん)
とあるご縁ができて、12月27日の「ほろ酔いコンサート」に招いていただきました。

 会場は有楽町のよみうりホール。1階と2階で約1100席ありますが満席です。
そして公演名にあるように会場で来場者にもたる酒(日本酒)が配られました。
ここまでは予想しましたが、そこから先は「凄い!」と感じるものが満たん。

 登紀子さんが舞台に登場するや掛け声が・・・。隣席の女性も大きく手を振りながら
掛け声を出していました。学生運動の時代にデビューして、東大生歌手と言われた
彼女の大衆性というのか、人を惹きつける引力の強さにまずは圧倒され・・・。
 
 3度の衣装がスタイルにぴったり似合い、ピンヒールが格好いい!
元々声が太くて低く、ハスキー気味だけど、虹色の束を連想するような声に魅力が
ある上、歌にもスピーチにも艶と主張があります。
お酒を飲みながら数十曲を歌えるのだから、相当な酒豪なんでしょう。

 この日、12月27日は70歳(古希)の誕生日と重なり、たくさんの仕掛けがあった
のですが、5時から7時半までの予定が、8時を過ぎてもステージは終わりません。
終盤は会場総立ちの様相で、改めて「歌の力」を感じましたし、この凄いお姉さまの
前で、50や60で弱音を吐いちゃ、いけませんよと、

 2013年も終わりに近づきましたが、このパワーとアグレッシブなステージは最高の
プレゼントをいただいたような感動がありました・・・。





 

イヴの帝国ホテルに歌声が

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帝国ホテルの
ロビーで歌う
早大グリー







 「クリスマス」と世間が騒ぎ、街にジングルベルの音楽が流れようと、
クリスチャンでなく、小さな子供がいないのだから「あっしには関わりのないこと」
でござんすが・・(苦笑)。
 それでも、帝国ホテルのロビーに出かけて、恒例の「早慶男声合唱団」による
クリスマスコンサートを聴いてきました。
 早稲田大学グリークラブと慶應義塾大学ワグネルソサイアティが合同で80名。
20歳前後の若者によるこの人数の歌声は中々素敵ですよ~

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                右のグレー
                は慶応です












 帝国ホテルのロビーは広くて吹き抜けがあり、2階席にも歌声が響きます。
出演は1,2年生が多いのか、緊張気味だったけど、若い声には艶があり、
イヴにふさわしい新鮮さと祈りがありました。

  1つ惜しいと感じたことは、司会のスピーチがやや棒読みの印象でして・・
歌心があるのだから、誰かがちょっと助言すれば上達しそうなんだけど。
(⇒で、若者のトレーニングに一度は劇団へ・・なんて考えてしまうのです。
  余計なお節介ですけど、歌もパフォーマンスも磨けると良いね!!)
 
 いつもはティーラウンジの外野から聴いていましたが、今回はラウンジに入り、
カクテルをいただきながら。それも中央の最前列です。柱に舞台がさえぎられる
こともなく、最高の贅沢でしたね~

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コンサートを
終えた直後
のラウンジ







 ただ、ホテルも、その後に向った銀座のbar も街中も、いつもより人出が少なく
感じました。21日(土)、22日(日)、23日(祭)と連休があったせいでしょうか・・・。

 そういえば今年はケーキの一箸もいただいていません・・・(苦笑)。
 今年も終わりに近づいて、イルミネーションが忙しく輝く年の瀬ですね~







猪瀬直樹知事の「無知は罪」

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12月19日付
朝日新聞








私の古巣・・・東京都庁がボスを失い、揺れています。
 医療法人徳洲会グループから5千万円を受け取っていた猪瀬直樹知事が
12月19日、都議会議長に辞職願を出しましたね・・・。
 
 猪瀬直樹さんは同郷の信州人で、県立長野高校を経て、信州大学では
全共闘議長でした。以前、直に話を聞いた際に「学生の頃から、機関銃1丁
で闘ってきたから、今もその延長で道路公団民営化の仕事を受けている」と
の趣旨で語っていたことを思い出します。

 勢いのある面白い人材だったのに、ご自分の答弁は下手でしたね~ 
最初に「すみません!知らなかったので、修正報告を出します!」と謝る
手があったのでは?
 とかく男は格好つけて逃げようとするから、最後にボロを出しませんか?

 「なぜこんなことに?」は諸説あり、黒幕云々も言われていますが、
私は単純に東京都の『職員服務規律』を知らなかったのでは? と・・・。
 これは関係する業者から利益を供与されたり、借金することを禁じている
もので、職員は100%認識している倫理規定(ルール)です。
 特に、徳洲会という病院の東京における許認可権は、東京都庁にあるの
だから、そこからの金銭が何を意味するかについて、あれだけの人がボン
ヤリしていたとは想像しにくいけれど、案外無知だったとしか思えませんね・・。

 お金を受け取った時には副知事だったので、職員に準じる立場として適用
される筈ですが、石原知事による任用で副知事になった大物には、研修も
無かったでしょうし、その後も、「これだけは気を付けるように」と耳打ちする
側近もいなかったのでしょう。孤高の人の弱点でしょうか。
 だから、辞任の会見で「政治にアマチュア」という釈明を繰り返したように
思いますが、でも、結果、無知は罪なりですよね~

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                                12月19日付
                                朝日新聞夕刊
                








 今だからこっそりお話できますが、私は都庁の人事部門で医療職1万人の職員を
対象にズバリ『服務規律担当』をしていました。
労務管理と信賞必罰・・・報奨から処罰までの目付役人ですね。

だから『職員服務規律』に反する収賄の事実が分かると、たった5万円で懲戒免職
にしたことがあります。家族もいたその男性は、5万円で人生を棒にふったのです。
公務員は公僕として徹底的にフェアであることが求められる。
 逆に言うと、このルールさえ守っていると、職務能力が低下しようが、責任感覚に
問題があり、勤務態度が悪かろうが、中々クビにはできないほど、身分が守られて
いるのです・・・。

 社会全体に教育がゆるくなり、国会での議論を聞いていても、アマちゃんが多く
なったなぁと感じます。だから、次期都知事にはあのオリンピック誘致でスピーチが
うまかった女性タレントをとか、そういう発想はやめてほしいですね~
 東京は予算の額でいうと、世界の国単位で較べてもベスト10に入り、韓国と並ぶ
程の規模で、知事はいわば任期4年を(普通は)保証された大統領で、国の平均的
な大臣よりも、むしろ大きな権限をもっています。

 都民も名前や顔で安易に投票せずに、首都東京の100年先まで見据えた選択を
してほしいですよね~ 選択肢が乏しければ自ら担ぎ出すことが民主主義の原点。
国民や都民の無知もやはり罪だと思いますもの。







討入りから311年の泉岳寺へ

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線香を買い、
墓地に向い
47士に・・











恒例のブログ記事でお騒がせいたします。 
 
 12月14日の高輪2丁目にある泉岳寺には、毎年3万人前後の
参拝客が訪れます。私もやはり参りました・・・。
(泉岳寺は1612年に徳川家康が建立)

 言わずと知れる赤穂四十七士と浅野内匠頭長矩・妻阿久利が眠る
菩提寺で、1702年(元禄15年)12月14日、大石内蔵助以下47名が、
主君の仇討のため本所の吉良屋敷に討入り、本懐を遂げてから
祭られて、今年で311年が経っています・・・。
 天皇だろうが、歴代の総理大臣だろうが、300年間忘れられることなく
今なお庶民が忠義に訪れるヒーローは、他にはいないですよね。

 毎年東京にいる限り、12月14日の泉岳寺を外すことはないのですが、
「なぜですか」って? 
 大石内蔵助の強い意思と潔さ、抜群のリーダーシップ、見事な死に様。
今の日本にはこんな格好良い男は見当たらないでしょう・・・。
墓前に立つだけで、勇気をもらえますね~ 集まってくる人は同じような
意思で、パワーをもらいに、あるいは、こういうリーダーがいたらねえ・・と、
見果てぬ夢を描いて泉岳寺に集まるのだろうと思いますよ~

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                朝早いのでまだ
                少人数でしたが
                中は煙が充満。








  境内には「赤穂義士記念館」があり、討入り当時の衣類や、口上書、
持ち物、手紙類、陣太鼓などたくさんの遺品が残されているのですが、
順次展示されて、必ずしも全面公開されていないので、今年初めて見た
もののうち「オオっ!」と関心を抱いたものがあります・・・。
 
 討入り後日、吉良家から浅野家に届いた「首の受取証」(本物)です。
つまり、赤穂浪士は本所で吉良上野介の首を打ち取り泉岳寺にある
主君の墓前に供えたのですが、吉良家から返還を求められ、まあ首を
持っていてもしょうがないのでと、家臣を飛ばして返しにいったそうです。
 それに対して、吉良側では「確かに返していただきました」という書面を
筆文字で書き、内訳に「首一つ」と記載されていました。(苦笑)
 武家社会での何とも律儀なお定まりですね~ 
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 ところで、47名・・正確には46名(寺坂吉右衛門は、討入り後大石の
命令で、事実を語り継げよと切腹を免れ逃亡した)が4ケ所で切腹した
のは1703年2月4日、今から310年前です。

 大石は今の高輪1丁目にあたる熊本藩細川家の下屋敷で、16人で
切腹したのですが、跡地は港区により丁寧に保存されています。
他は、芝5丁目の水野家、三田2丁目の松平家、六本木6丁目に当たる
毛利家でした。いずれも現在の港区で、江戸時代から都心だったのですね・・・。

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 右上は私が好む「勝守」です。
『摩利支尊天』といわれ、元々はインドの神で、勝負ごとに強く、自在の
神通力があり、念ずれば一切の災いから逃れるとして、古くから武士たち
の間で深く信仰されていたもの。

 大石内蔵助は髷(まげ)の中に、摩利支天を納めて討ち入りに臨み、
本懐成就を遂げたと伝えられ、その由来から勝守として人気があります。
私は毎年、数枚をいただいてから大石の墓前でお香を炊いて拝礼し、
そのお守りを応援したいと思う親しい友人に差し上げてきました。

 それにしても、墓参をするつど感じますが、47人の内訳は16歳から80代
までで、内蔵助は45歳、息子主税は16歳。平均的には30代でしょうね~
まだ生きて好きな人生を送れた筈の若者たちが、主君の仇を討つために
自らの生命をかけて果てていく・・・。

 今は、時の最高権力者も「我が身優先」が見えすぎていませんか?
気持だけでも彼らの勇気と精神力にあやかろうと、2013年も大衆が集まり、
絶えない線香の煙が充満した泉岳寺です。





初冬の紅葉と般若苑その後

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自宅の東窓から










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   我が家の東側にある窓から見える今日の光景2点です。
初冬とはいえ、紅葉の美しさに心が和むので、ご披露しました。
都心3区内の某所ですが、女子学院のキャンパスの一角に立地するので、
まるで自宅の庭みたいな贅沢に感謝・・・。
遠方に高いビルが見えているのが対照的ですが、夜景もまた楽しからず
やなんですよ~

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西側にある
バルコニーから
白い建物は何?







 うちの西側にあるバルコニーから150メートルほど向かいにある白亜の建物
はナアニ? マンションでなし、ビルでなし、ホテルでもなし、美術館? 病院?

 はい、正解はあの孫正義さんの邸宅&迎賓館で、2013年1月に竣工。
敷地2000坪で、地上4階、地下2階。プール、ボーリング場からゴルフの練習場
まで備わっていると聞いていますが、サスガに中の様子は分かりません。
(野次馬根性で見に行ったらガードマンが複数名いて、見学は無理みたい・・・)

 江戸時代には薩摩藩の別荘で、のち『般若苑』という高級料亭になり、
多くの政財界人や著名人が出入りしたことで有名ですね~
三島由紀夫が1960年に書いた小説『宴のあと」の舞台になり、元外務大臣ー
有田八郎がモデル。彼のプライバシーを巡り、裁判になった話を思い出します。

 般若苑は2005年(平成17年)に閉店。
日本史を彩った料亭が様々なエピソードを残して・・・時代は流れ、今は世界でも
有数の実業家の手中に・・・。これもまた歴史の必然なんでしょうか・・・。

 私はこのバルコニーから孫さんの大邸宅を拝みつつ、ダイエットのために
ここでよく縄跳びをしています。ピョンピョンピョン・・・。あと5キロ!! 





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