ふと目に留まったのが上の展示です。 えっ! なあに??
館内に入り、NHKの朝ドラ『花子とアン』で、花子の仕事先・・銀座の出版社とは、
この教文館であることを知りました。
1919年(大正8年・26歳)から30代半ばまで翻訳と編集の仕事をしていたよう
ですね。花子の生涯は原作本やテレビドラマにお任せして、
今話題の人で、生きていれば120歳になる明治のエリート女性が目の前で
展示され、蘇ることはとても面白いことと感動しました。
ご存知のように村岡花子はカナダの小説家 L.Mモンゴメリ原作『赤毛のアン』
を6年がかりで翻訳し、戦後の昭和27年に出版するまで13年の歳月を経ています。
(この時花子は59歳)
もう一つ注目したのは原作者のモンゴメリの生誕地である、プリンス・エドワード
島に憧れ続けながらも、ついに渡航することなく、1968年(昭和43年)に75歳で
逝去したこと。海外渡航がまだまだ難しい時代でしたからね~
私は村岡花子さんのような偉大な女性には何も及ぶものはないのですが、
たった一つだけ・・・カナダの「プリンス・エドワード島」に行き、モンゴメリが
生まれ育った木造の古い家を観てきました・・・。
2000年くらいで築120年を過ぎていましたが、テーブルやベッド、デスクなど
の家具や食器などが綺麗に残されており、日本が古いものを次々と壊す文化
とはとても対照的でしたね~
もう15年くらい前になりますが、写真はその時、モンゴメリ旧宅のショップで
購入したアンちゃんの人形。
60センチあるので、背中に背負い帰国した自慢の一品なんですよ~
教文館はその昔「メソヂスト出版舎」と呼ばれていたそうで、1906年(明治39年)
から現在の場所に定着したとか。現在は9階建てですが、花子の当時は3階(+)の
建物で、編集室もイメージ的に見学ができました。
(明治生まれなので、身長は145センチくらいだったと解説があります)
あと、出版社で出会い、のち結婚する村岡儆三の写真も展示されていますが、
ドラマの俳優まではいかないものの中々の好男子ですね~
※ 展示会は7月14日(月)まで開催されており、
午前11時~午後7時まで。(大人700円)