山谷から遠く覗き
見るスカイツリー
3月14日、数十年ぶりに「山谷」に出かけてきました。
ここは、東京都荒川区南千住と台東区にまたがる日雇い労働者の街で、
長い間、「ドヤ街」とか「スラム」と呼ばれてきました。
元々は江戸時代から明治の初期まで、小塚原刑場があって遺体の処理
のため、いわゆる「部落民」が集められ、吉原の遊郭が近くにあるなど、
アウトローな場所として木賃宿も集結していたのでしょう。
戦争が終わってからも、昭和38年の段階で簡易旅館が222軒あり、
路上生活者が15000人。不就学児童、売血問題とともに、暴動も起きて、
平成に入ってからも19年現在で生活保護世帯が66.7%あり、今でも
貧困、高齢化、傷害・病気、孤立、孤独死・自殺など社会問題が山積して
いるような街ですね・・・。
簡易旅館に入らせて
もらいました(非公開)
今回を機会に改めて『貧困』とは何かを考えてみました。
事前に若者と「貧困」を議論しましたが、経済的困窮だけではなく、
精神的困窮も包含されるのでは・・・と彼らも発言していました。
私なりに考えた『貧困』の定義ですが・・・
『経済的 身体的 環境的 文化的条件において、自力で衣食住の
生活要件を満たしえず、社会の中での役割分担を保てない状態に
あること』
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ちなみに、OECDの基準による『貧困』は、
1世帯の年収が200万円以下、単身で120万円以下とされています。
日本には年間所得112万円以下(月額9.3万円)の生活者が16%も
存在しており、総数では2000万人にも及んでいるのですよね・・・。
(特に子どもの貧困率は2012年で16.3%、先進国35ケ国中、貧困割合
が高い方から4番目です。子どもだけは・・・何とかしたいですね)
私は都庁の職員だった20代に、行き倒れや急病人への救急医療
の仕組みを作るため山谷に行き、現地調査や会合に出ていました。
その頃、社会福祉のインフラや支援は今より低レベルで、路上生活者
が何倍も多く、仲間内の喧嘩が日常的で凄味や怖さがありましたし、
毎朝日雇いの仕事を求めて、たくさんの人が列をつくっていた鮮明な
光景を覚えています・・・。
それに較べると、今は行政の救援やボランティアが入り、居住者の
多くが高齢化したせいか、街全体が静かで、それほど特殊な雰囲気は
ありませんでした。日本の至る所に「山谷」ぽい場所が増えているよう
な気がしましたね・・・。
街のあちこちで、路上に座り、お酒を飲んでいる光景を見ましたが、
桜の季節の花見を思えば、それほどの違和感はありません。
あとで、一緒に行った人と、私たちも同じように車座で路上宴会をして
みれば、別の景色が見えたかもしれないねと話しました。
同時にここで終末を迎える人に対して、必要以上の同情をすることは
避けたいと思います。長らく借金取りに追われて来たり、家庭内のもめ
ごとで平穏を奪われてきた人には、もしや静かに余生を過ごせる幸せ
な場所かもしれませんから・・・。