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紅葉に映える
国宝瑠璃光寺
1442年(室町)
(山口市)





 思うところあって、11月16日に羽田空港から山口宇部空港に飛び、
山口県の湯田温泉に行きました。羽田から正味1時間半ほどの飛行。
あっという間に本州の遠き地に降り立ちました。

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           素敵なご夫婦の
           写真なので小さく
           掲載させてね~







 わざわざ広島から車を走らせて出迎えてくれたのは、ドクター暁さん・千明さん
のご夫妻です。暁さんは脳神経内科の専門医で、山口の出身ですが、今年の
3月まで国立HPの病院長をされていました。今も現役で頑張っています。
20代、紅顔の美少年の頃からの知り合いで、早い話、飲み友だちなんですよ~
まあ、最近は私の方が飲めるかな・・(笑い)。

 千明さんは私と同じ長野県の出で、様々な舞台で活躍するピアニストです。
2年前、東京で私が主催した「歌声レストラン」(コンサート)では即興に近い形で、
多くの伴奏をして下さり、その実力に感動し、脱帽しました。

 20数年前に家族で旅行して以来、久方ぶりの山口県ですが、2日間、暁夫妻
のナビゲーターにより、山口界隈の名所旧跡を見て回りました。

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明治維新の
史跡・枕流亭
(山口市内の
 香山公園)






 幕末に土佐の坂本龍馬の奔走で、薩摩と長州連合の話し合いが進められ、 
慶応3年(1867年)9月に、この家屋に両藩士が集まって、討幕軍の結成が
図られたという密議の場所です。(わくわく)
 
 薩摩から西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀、大山格之助が訪れたのに対し、
長州から桂小五郎(木戸)、広沢真臣、伊藤博文、品川弥二郎らが出迎えて、
明治維新のあけぼのを作ったとされる記念すべき建物。趣がありますね~
中は大変狭いですが、密使か忍者になった気分です・・・。

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            湯田温泉にある
            中原中也記念館
            にて









 中也のこの写真は有名ですが、思わず「可愛いい~!」と叫んでしまい
ました。(苦笑) 現代でもジャニーズ事務所OKのイケメンですよね~
1907年(明治40年)~1937年(昭和12年)の詩人・歌人ですね。
詩集の「山羊の詩」(1934年)や「在りし日の歌」(1938年)が代表作ですが、
「ランボウ詩集」の翻訳でも知られています。

 26歳で結核性脳膜炎で死亡しましたが、長男・次男共に2歳で失うなど、
明治から昭和初期にかけては、不治の病が多く、短命だったんですね~
天才肌のこの青年が中高年まで生存したら・・・と思うと残念です・・・。
  

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秋芳洞の百枚皿
(美祢市)






 数十万年前から出来上がってきたという日本最大の鍾乳洞ですね。
観光ルートとして整備された約1キロメートルを片道45分位で歩きます。
壮大な光景に感嘆するとともに、年中17℃前後に保たれているそうで、
自然の偉大さには脱帽としかいいようがありません・・・。

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     生家を復元した
     金子みすゞ記念館
     で(長門市)








金子みすゞ・・1903年(明治36年)~1930年(昭和5年)
 昨年の3.11の直後にTVのCMで「こだまでせうか」が一日中流されて
改めて有名になった童謡詩人。西條八十から巨星と呼ばれながらも
不幸な結婚の果てに淋病をうつされて人生の期限が近付く中、離婚話
を進めつつ一人娘の親権を巡って(抗議で)自ら生命を絶ちました。
当時、女性には親権がなかったのです・・・。26歳の若さでした・・・。

 記念館は実家のあった「上山文英堂」(書店)を復元してみすゞの部屋
や当時の雑誌・本類と共に公開されています。
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 中原中也、金子みすゞ。
二人ともに30歳になるかならないかの若さで逝去。
そんな短い人生の中で、中身の濃い作品をたくさん残したんですよね~
 彼らに較べると、私は随分長く生きているのに、例え財産を残しても
記念館を開くだけのコンテンツがありません(笑い)。
 今からでは到底間に合いませんかねぇ・・・? (苦笑)
 
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 初日は暁さん夫妻と湯田温泉に泊まりましたが、
夜は従兄弟さんの大平ご夫妻と一緒に地元のふぐ料理を頂戴し、地酒も
堪能させていただきました。長州の逸話もたくさんお話しいただき、この地
がなぜ明治維新のさきがけを築いたのか謎がすこしづつ解けてきました。
江戸から遠く離れた南の土地で、海の幸、山の幸に恵まれ、幕府の眼を
逃れ、密貿易もできるなど余裕があったということでしょう。
そこに長州人の魂あり!・・・ですね。

⇒2日目のメイン、
 萩の松下村塾と吉田松陰の足跡はこの続きをお楽しみに!