(「名簿が消えるタコツボ社会」の続き)
©newrock yuko
<タコツボ増えて国滅ぶ>
古い新聞記事ですが、2005年2月25日付の朝日新聞「私の視点」
に東海大学医学部講師(当時)の高原太郎さんが、わが子が通う
学校に住所などの基礎情報が開示されていないことに関する意見
を寄稿して話題を呼びました。
「我々には所属している集団について知る、相互関心の権利もある。
それが従来機能してきた安全な日本の基本的なよりどころではない
か」と。
高原さんは自分の子どもがクラスメートに年賀状を出したいと
希望したが住所を知りえないことに気が付き、日常の連絡すらとれ
ない現状を将来の社会構造への視点から不安を抱いて問題提起を
したものです。
つまり「個人の情報を開示しないことで部分的な安心がある反面、
地域社会のコミュニケーションを崩壊に導き、相互無関心が強まる
ことはもっと危険を編み出す」という考え方ではないかと思います。
私も高原さんと全く同じ見解ですが、更にもう一つの危惧を抱いて
います。「従来地域社会で補い合ってきた部分が、最終的に逐一個々
人に向けた行政の役目となると、役所は過度の財政負担を強いられて
財政破たんが加速する」―大きなリスクを我々が背負い、ズバリ
「タコツボ増えて国滅ぶ」ですね・・・。
経済発展して便利さ快適さと引き換えに人と人の距離が離れて公共
心が薄れ、貧富の格差も生じて、生活保護は現在1951年の戦後混乱期
を上回る205万人に至っています。そして経済支援の他、高齢者・障が
い者対応、防犯、子どもの社会教育、家庭内暴力の救助など(昔は近隣
住民で補ったことも)役所への期待値となり、事業内容が膨大多岐に
亘ってきました。
現状の「高福祉低負担」がこのまま続くわけがなく、我々は「高福祉
高負担」か「低福祉低負担」かの選択をしなくてはならないでしょうね。
同時に「個人情報」に過敏にならず、近隣で声を掛け合う、手を差し
伸べる、お節介もやき合って「明日はきっと明るい日」と夕日を見れる
と良いですね。
