飛騨の白川郷を訪れた翌日9日は、下呂の若者に運転を
お願いし、木曽谷を経由して高遠の桜を見ながら目的地の
山梨に向かいましたが、木曽福島では30年思い描いてきた
夢が消え去った瞬間も経験して・・・これが人生かな(笑い)。

DSCF1811









圧巻・・木曽の
寝覚めの床













 私は父親が長野県の公務員だったので、3年に一度くらいの
頻度で転勤があり、それに伴い家族は各地を転居していました。
子どもたちは学校も変わる。いじめられまいと強くなりました(笑い)。
 伊那小学校入学⇒大町小学校卒業⇒木曽福島中学校入学・卒業、
⇒その後高校は片道2時間かけて松本に進学。青春でしたね~

 その木曽福島に降り立ったのは、考えてみれば数十年ぶりだった
んですよね~ この30年間、いつか行ってみたいなぁ、行ったなら
中学の同級生だった吉村君の実家「吉村味噌店」を訪ねて、そこで、
みんながどうしているかを聞いてみよう・・・と。

 DSCF1812







    木曽の名酒「七笑」
    の酒蔵と本店












 木曽福島は田舎町だけど、それなりに変化していましたね~
街の中で「あのぉ、昔、吉村という味噌屋さんがあった筈ですが、
ご存知でしょうか?」と 何人にも聞いて歩きました。
 でも「えェ・・、聞いたことがないですね~駅の近く? 味噌屋さんは
ありませんよ~」 と芳しくない返事ばかりです。

 ランチにしようと入ったお蕎麦屋さんでも尋ねましたら、
「だいぶ前にありましたよ~ でも、30年くらい前に店を閉じて家族で
 東京に行ったみたいです・・・」 (えっ、東京へ来てたの?!)
「店は、今あそこの駐車場になっている場所ですよ」

・・・オヤオヤ、私たちが乗ってきた車を置いた場所じゃーないの!
運命が思わぬ形でつながった感じで、不思議な瞬間・・・。

 そうか、吉村君を訪ねて、いつも同じ列車で松本まで通学していた
初恋の人、岩井K志君がどこにどうしているかを知りたいというのが
長年の思いだったけど、30年後はあまりに遅かった・・・。
今や生死も不明でしょ。肝心なところで、私は見通しが甘いよね~ 
(苦笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

DSCF1824





 
山梨市内の
H・KO宅で







 夕方4時過ぎに、20代からの知り合いが住む山梨の古民家に
着きました。(1Fのテラスからは富士山が真正面に)

 私は東京の友人と下呂の若者を同行して、この家の主である
H・KOさんを訪ねたのですが、松本からも共通の友人がやってきて
・・・まあね、私のお得意、ごっちゃ煮の集まりになりました。

 H・KOさんは江副浩正さんが起業したリクルートに百名少しの
創業期に入社し、やがて「住宅情報」の事業部長となって(不動産に
強い関心を持っていた)江副さんを支えてきた元側近です。
「僕は日本の中で1,2位を争うほど住宅を数多く見てきたと思うよ」と
言うだけあって、建築物を見る目は確かでしょうね。

 そんなH・KOさんが退職後に凝ったのは、古民家で、NPOを立ち
上げて、全国的な活動をしています。
山梨に建てたこの古民家は、新潟から購入して大型トラックで移設を
したもので、建坪は100以上ありそう。(数千万円かかったのでは?)

 それにも増して、建具や家具や、置物一つに至るまで遊び心に満ち、
人生のお贅沢、ここに極めりで、こうありたいなぁの理想です。
 元々は京都の料亭の息子だから、料理も得意で、女中頭の私に向
かって「腕前を見せてもらいましょう!」などと上から目線でしたよ~
(苦笑)

 泊まり込みの5名が、それぞれ持ち寄った食材で料理をして、味三昧
の食事をいただき、地酒を楽しみ・・・深夜までの宴会が延々続きました。
話題? あまりに刺激的な話が出た(出した?)ので、内緒ですよ~

DSCF1815



    
     高い天井と広い空間
     は大人も遊ばせます