
市ヶ谷にある
防衛省の全景
(省内の模型)
9月3日(火)は暑くて長い1日でした。
前々から考えていた「防衛を考える若者たちの会」(塾生による勉強会)
の企画ですが、防衛大学の教授の計らいで、朝9時、九段の靖国神社
に集合して、博物展示館「遊就館」の展示を見た後で、午後からは
市ヶ谷に移動。防衛省の見学プログラムを夕方まで現場体験しました。

靖国神社ではお参りはしていません。若者が中心でしたが、思想信条の
自由を尊重して、理由なく頭を垂れる行為は避けたいからでした。
遊就館は戦争博物館といえる場所であり、「遊就」とは「高潔な人物に交わり
学ぶ」という意味だそうです。
膨大な展示を見ると、日本の国がいかに戦争を繰り返してきたかがよく
分かります。(国民のDNAとして好戦的な怖さを感じますね~)
また、第二次世界大戦の終盤で日本の軍部は戦局について国民に、
「勝っている」と虚報を流したことは明らかですが、この日のガイド役を引き
受けてくださった文庫室長は『誤報』という表現をした点で、客観性の軸足が
やや戦争やむなしに傾いている印象はありましたし、1945年8月15日の敗戦
の話はサラリと素通りしたような印象でした・・・(苦笑)。
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市ヶ谷記念館
今は防衛省の隅に移設再現されている市ヶ谷記念館(上)は、
元々陸軍士官学校として建設され、昭和16年には大本営陸軍部、
陸軍省、参謀本部としての拠点であったところです。
敗戦の1945年8月には、米軍に接収され、大講堂は1946年から
極東国際軍事裁判(東京裁判)の法定として使われたという歴史的
な場所。
(ここで開戦時の東条英機首相など、A級戦犯とされた人々が裁かれ、
絞首刑7名、終身刑16名などの実刑を受けています)

裁判当時の
写真ですが、
建物内部は
ほぼ当時の
まま。

写真の中央は
若き日の学生
森山眞弓さん
元厚生官僚で、文部大臣や法務大臣を務めた森山眞弓さんは、
当時東大の学生で、裁判の通訳をしていました。
1927年生まれで、現在86歳におなりです。

記念館内の
旧陸軍大臣室
もう一つ、この建物が舞台になったのは1970年(昭和45年)の三島事件
ですね。11月25日、当時45歳だった作家の三島由紀夫が盾の会の同志と
共に(当時置かれたていた)陸上自衛隊 東部総監部の総監室に押し入って
総監を人質に立てこもり、その後、今もあるバルコニーで自衛隊に決起を
促す演説をして、それがヤジや怒号でかき消されると、割腹自刃をして死に
ました。当時、総監を助けようとした自衛官に向けた刀傷が室内に、生々しく
残されています。
1970年といえば、70年安保闘争の時代。世の中大荒れで、こういう事件が
置きるつど職場の仕事がストップして、皆でテレビに釘付けになっていました
ね~(笑い)。
≪後日談≫
3日の見学には高校生を含む学生など若者8名と、PTA的な大人3名に、
引率の大学教授と、合わせて12名が参加しました。
あとで聞いたら、一学生の両親や、某男性の夫人は、身内が靖国や防衛省
に行くと聞いて 「いつから右翼になったの?」と心配したそうで、皆で夕食
をとりながら笑ってしまいました。
まだまだ大半の国民は防衛を考えるだけで、右翼を連想するのですね。
冷静に考えると、イギリスのウイリアム王子は今英国軍隊に所属しており、
アメリカの大統領も、軍事経験のあることが暗黙の条件といえるほど、
いずれも国の根本に防衛があるのですが・・・。
本当に日本人は防衛(戦争)アレルギーが強く、その割には現政権の右傾化
には無関心を装っている・・・。
このチグハグさをどう理解したら良いのでしょうか。
