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線香を買い、
墓地に向い
47士に・・











恒例のブログ記事でお騒がせいたします。 
 
 12月14日の高輪2丁目にある泉岳寺には、毎年3万人前後の
参拝客が訪れます。私もやはり参りました・・・。
(泉岳寺は1612年に徳川家康が建立)

 言わずと知れる赤穂四十七士と浅野内匠頭長矩・妻阿久利が眠る
菩提寺で、1702年(元禄15年)12月14日、大石内蔵助以下47名が、
主君の仇討のため本所の吉良屋敷に討入り、本懐を遂げてから
祭られて、今年で311年が経っています・・・。
 天皇だろうが、歴代の総理大臣だろうが、300年間忘れられることなく
今なお庶民が忠義に訪れるヒーローは、他にはいないですよね。

 毎年東京にいる限り、12月14日の泉岳寺を外すことはないのですが、
「なぜですか」って? 
 大石内蔵助の強い意思と潔さ、抜群のリーダーシップ、見事な死に様。
今の日本にはこんな格好良い男は見当たらないでしょう・・・。
墓前に立つだけで、勇気をもらえますね~ 集まってくる人は同じような
意思で、パワーをもらいに、あるいは、こういうリーダーがいたらねえ・・と、
見果てぬ夢を描いて泉岳寺に集まるのだろうと思いますよ~

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                朝早いのでまだ
                少人数でしたが
                中は煙が充満。








  境内には「赤穂義士記念館」があり、討入り当時の衣類や、口上書、
持ち物、手紙類、陣太鼓などたくさんの遺品が残されているのですが、
順次展示されて、必ずしも全面公開されていないので、今年初めて見た
もののうち「オオっ!」と関心を抱いたものがあります・・・。
 
 討入り後日、吉良家から浅野家に届いた「首の受取証」(本物)です。
つまり、赤穂浪士は本所で吉良上野介の首を打ち取り泉岳寺にある
主君の墓前に供えたのですが、吉良家から返還を求められ、まあ首を
持っていてもしょうがないのでと、家臣を飛ばして返しにいったそうです。
 それに対して、吉良側では「確かに返していただきました」という書面を
筆文字で書き、内訳に「首一つ」と記載されていました。(苦笑)
 武家社会での何とも律儀なお定まりですね~ 
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 ところで、47名・・正確には46名(寺坂吉右衛門は、討入り後大石の
命令で、事実を語り継げよと切腹を免れ逃亡した)が4ケ所で切腹した
のは1703年2月4日、今から310年前です。

 大石は今の高輪1丁目にあたる熊本藩細川家の下屋敷で、16人で
切腹したのですが、跡地は港区により丁寧に保存されています。
他は、芝5丁目の水野家、三田2丁目の松平家、六本木6丁目に当たる
毛利家でした。いずれも現在の港区で、江戸時代から都心だったのですね・・・。

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 右上は私が好む「勝守」です。
『摩利支尊天』といわれ、元々はインドの神で、勝負ごとに強く、自在の
神通力があり、念ずれば一切の災いから逃れるとして、古くから武士たち
の間で深く信仰されていたもの。

 大石内蔵助は髷(まげ)の中に、摩利支天を納めて討ち入りに臨み、
本懐成就を遂げたと伝えられ、その由来から勝守として人気があります。
私は毎年、数枚をいただいてから大石の墓前でお香を炊いて拝礼し、
そのお守りを応援したいと思う親しい友人に差し上げてきました。

 それにしても、墓参をするつど感じますが、47人の内訳は16歳から80代
までで、内蔵助は45歳、息子主税は16歳。平均的には30代でしょうね~
まだ生きて好きな人生を送れた筈の若者たちが、主君の仇を討つために
自らの生命をかけて果てていく・・・。

 今は、時の最高権力者も「我が身優先」が見えすぎていませんか?
気持だけでも彼らの勇気と精神力にあやかろうと、2013年も大衆が集まり、
絶えない線香の煙が充満した泉岳寺です。