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2013.4.19
童門冬二さん
(作家)と・・









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                         2013.10.18
                     石橋哲さんと
                     原発の勉強会









 
 遡れば2006年から今は亡き筑紫哲也さんを塾長に始まった勉強会
が『途中塾』でした。その後ボスを失い、中断を経て、今また塾が動き
始めます。(2,013年11月から一般社団法人になりました)

 http://tochu-juku.com
   4月からの開講に向けてホームページを
                  公開しました。まずはご覧ください。

 途中塾とは別に、10年くらい前から自宅を開放して大人と若者が集い
会食をしながら学びあうスタイルでイベントを開いてきたので・・・、
私としてはその延長ですが、多少組織めいたものにすると好き勝手に
やれない分、やや面倒なことも起きるのですが(苦笑)、最大の財産と
誇りは塾生たちです。
 ・・今の日本にはきわめて少数のー絶滅品種ともいえるガラパゴスなー
若者が集います。ホームページで自己紹介しているので応援ください!

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 戦後しばらくは「末は博士か大臣か」が願望で、私たちの時代には
学生運動が起きて、国や社会のために何をするかを考え、議論し行動
する若者が20%~30%と相当数いたものです。(勿論大多数はノンポリ
でした。彼らは時代が変わろうが今もノンポリ路線かな・・笑い)

 私も末端にいながらも行動する学生で、時には逮捕覚悟で国家権力と
鬼ごっこや隠れんぼをし、刑事の父親とはよく衝突していました。
 当時4年制大学の進学率は5~6%で、女子は僅か2~3%の時代です。
だから自分たちが行動せずして誰がこの国を背負うのか・・・と存在自体が
エリートだった学生は立ち上がったという背景があったように思うのです。


 今は高学歴になったけど、親も本人も安定志向で、保身優先に映ります。
まずは目先の利益を考えて・・・が当たり前かもしれません。
その割には、国の舵とりや国民のルールを決める政治に関心を持たず、
方向が怪しげになってきてもノーテンキな印象です。
 世界や日本が変化しているのに「安定であり続ける筈」という思い込み
には不安で怖いものがありますよね・・・。

 「若者はバカじゃない、とおに国を諦め、捨てている」という意見も聞いて
おり、そうかもしれないと思います。でも、だからと言って、何もしないことが
正当化されるのでしょうか。私はやはりドンキホーテでも立ち向かう人を
応援したい。人生は有限なんだから・・・。

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 この塾は寺子屋で、やや大げさですが『平成の松下村塾』を目ざして
おり、プラス『社会派のタレント事務所』を兼ねています。

 松下村塾もそうですが、幕末や明治の初期にあった塾や学校は地元
町民の(資金や食料)持ち寄りで学びの場が用意されてきました。
教育こそが社会を進化させられると人々が考えていたのでしょう。

 長野県は長い間「教育県」として評価されてきましたが、
中心地の松本で明治の初期、全国に先駆けて開校された『開智学校』は、
住民が資金を出し合って校舎を建設し、東京から校長を招き、その校長は
至る所から優秀な教師を集め、公開授業をしながら地元の人々に教育の
重要性を説いて歩いたのです。

 学校の原点はここにあるのだと思いますが、
もはやおとぎ話みたいな世界になってしまいましたね~

 とはいえ、途中塾はそんな理想を掲げて開講します。
応援団の皆さまには、塾生の奨学金や講師謝礼に使う「年会費」をいただき
ながら、授業を公開し、共に参加いただくシステムを検討中です。

 高校生から35歳までの「日本のチェンジに挑む行動派の若者」をご存知で
したら、ホームページを通じて入塾を推薦してください!!