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(事件とは無関係、うちの
 近隣マンションです)


 東京の立川市で、2月13日の45歳の母と息子(4歳)の孤立死に続き
3月7日、都営住宅に住む95歳の母と63歳の娘の死亡が発見されました
が、何ともやりきれないですね。
 連絡がとれず、新聞受けに郵便物がたまり、毎月支払われていた自治
会費が滞り、水道のメーターが動いていない。認知症の高齢者を抱えて
旅行に出る可能性は皆無に近いだろうから、異常な状況であることは明ら
かなのに、都住宅供給公社も立川市も救援意識が薄く、ドアをノックした
くらいで(死んでいたり、倒れていたら応答するわけがないでしょうが・・)、
緊急性が見られないから『様子見』としてきたとのこと。

 「様子見」って何でしょうか?! 要は互いに他者に期待し、敢えて火の
粉をかぶらず動かない。マニュアルの上で、65歳以上には要注意だけ
ど、63歳の娘がいるから注意の対象外とか何とか。
こんなルール自体も実にナンセンスというか、逃げ口上に映りますよねー。

 民生委員も隣室の住民に電話をかけて様子を聞いただけで現場に行く
わけでなく、自治会長も大騒ぎするでなく、みんな実に無力なのです・・・。
でもね、日本人は何も言わず、何もせず、ニコニコしている人を「善人」と
呼んでいませんか? (いいなー、善人はお気楽で・・・苦笑)

 そもそも最近よく使われる「連携して」というイメージの綺麗な表現は、
曲者で、「自分だけ動くことなく、お互い少しづつ」と考える結果、関係機関
が無責任となり、腰がひく状態が多く生まれがちに思えます。
 「みんなでやろうね」というリーダーは、自分の確たる哲学や信念のない
人の台詞で、自ら率先して提案をしないし、何もできない人の口癖だと
感じてきましたが、「連携してみんなでやろうね」も同じではないでしょうか。
 
 「もし何でもなかったら俺が責任を取るからカギをこじ開けるぞ!」と
踏み込む人が、組織にも近隣にも皆無の情けないタコツボ社会・・・。

 8日の報道ステーションで古舘伊知郎が冒頭で伝えたように、昔は(三丁
目の夕日の時代か)こんなことはあり得なかったー私もそう思います。

 住宅供給公社や市役所の責任者の発言も、エクスキューズばかりで、
私たち住民はこういう方々に最終判断を任せるという姿勢を変える必要を
感じませんか? 
 公務員の役目は税金を集めて配分することと、決められたルールに
乗っかり、そこから真っ直ぐブルトーザーのように進むことだから、弾力性
は極めて低いのです。
 で、そのルール上にある人を対象に、役所に来たら面倒をみてやるよと
待ち受けることが仕事になり、自ら問題の解決に赴く発想は念頭にない
のでしょうね・・・。

(元公務員の私が敢えて申し上げるのですが、この時代、待ち受けるだけ
の公務員はもういらない。決められたレールを走るだけなら民間で対応
できるのだから。税金で生活を保証されている公僕は、営業マンか御用聞
きになる覚悟で、問題発見と解決のために滅私奉公してほしいものです)

 そして、住民は何でも役所に期待することはやめましょう。
自分たちの生命と安全は自らセキュリティをかけ、日頃からのコミュニケー
ションを心がけ、「個人情報」だなんて殻をかぶらず、もっともっと、お互い
にお節介を焼きあう暮らしに戻したいものですね・・・。
 誰しも因果応報で、若い頃から人生の終盤を想定して人と助け合い、
親しい人に自宅の鍵を預けるなどしていざという時に備え、ネットワークを
広げておくことは実に重要だと思います。
そして、ここぞ一番で「110」や「119」に通報することも潔くやりましょう。
「プライバシー」の重要性は分かりますが、死は突然にやってきて、これば
かりは逃げられない覚悟も必要でしょう・・・。それにしても悲しくなる話です。