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     NHKの大河ドラマ・・・2016年は「真田丸」で、真田幸村が
主人公、主役は堺雅人に決まりとか言われていますよね。

 久々に郷里の長野県が舞台で、それも「六文銭」が旗印。
この話に血が騒ぐのは「信州人だから」だけではありませんで・・・、

母方は真田家と運命を共にしたとされる矢島家ですが、それを
示すように、母の実家は日本には5000以上ある家紋の中でも
(ホルダーが少数で)珍しい『六文銭』です。

≪どういう縁なんだろう≫ 

 今は亡き明治生まれの伯父(母の兄)から伝え聞いた話によると、
1658年頃に、真田家の跡目(後継者)争いが生じて
(この当時豊臣側にいた真田幸村は40年前の大坂夏の陣で戦死し、
徳川についた兄の信幸は稀有な程に長命で90歳を超えていた)
幕府や縁戚大名を巻き込んだ騒動が起きていた時代・・・・です。

 4代将軍家綱の大老ー酒井忠清が騒動を治め、利害関係を守ろ
うと、自分の懐刀を目附(監視役)として江戸から松代藩の真田家
に使わしたのが矢島九太夫・・・。(以後、信濃に留まったのか、
江戸と行き来して子孫を残したのか・・・、彼が私のご先祖さま?!)
 
 私個人はまだ史料での裏付けができていないのですが、
池波正太郎の「真田騒動」には、矢島九太夫が登場してきます。

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 歴史を紐解くことは面白いと思いました。
どう考えても我が身のDNAには『目附の血』が流れている。
(苦笑) 平たく言えば「不正は許さん」でしょうね。
相手の社会的立場を超えて、曲がったことにはNGを出し、

ここぞ一番は妥協や泣き寝入りをしないで生きてきました。

 家紋の「六文銭」は「三途の川の渡し賃」から発していて、
意味は「不惜身命」。
法仏のために身命を捧げて惜しまないことを示す表現とか。

私は350年の時を経て (信濃から) 東京都庁という名の
 江戸町奉行所に江戸目附として戻り、今なお監視をしながら
 古い十手を持ち続けているのでしょうか? (苦笑)

  現代の矢島の子孫は徐々に商家や開業医に転じ、六文銭
 を旗に掲げて、不正を叩く見張り番がいなくなったので、
 やむなく、真田の代表選手を引き受けているのですよ~ 
 正直、疲れるよね~ (笑い)。

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 真田を調べようと池波正太郎の小説を読みました。
幸村の兄、真田信幸(のち信之)がこんな発言をしています。

 『家来が殿様を偉いと思い込んでしもうては駄目なのじゃ。
もう怖くて口もきけなくなるわ』
 『良き治世とは、名君があり、そして名臣がなくては成り立た
ぬものなのじゃ。そのどちらが欠けても駄目なものよ』

 江戸、明治、大正、昭和と時が流れて・・・・今、 
こういう信念とは程遠い(自称)殿サマがふんぞり返る・・・。
特に「先生」と呼ばれる職業人に多く見受けられませんか?

(誠実で善良な諸先生には大変失礼ですが) 一般論として
『先生と言われほどの馬鹿でなし』・・・しばし名言だと思うことが
よくあり、思えば大変残念なことですよね~

今から300年前の時代、不自由な中でも名君が生まれたけど、
なぜ、何でもありの現代に至り、絶滅品種になったのでしょうか。
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参考
 真田信幸(信之)・幸村(信繁)兄弟について
 
 信幸(1566~1658・92歳没)
 幸村(1567~1615・48歳没)
 いずれも武田の武将から発した大名真田昌幸を父に持つが、
 1600年の関ヶ原以来、父と弟の幸村は西の豊臣がたに、
 兄の信幸は、正室が家康の養女(本多忠勝の娘)だったこと
 もあり、東の徳川がたについた。
  
  弟幸村は、1614年の大坂冬の陣で家康を追い詰めるような
 戦いで名を成したが、1615年の夏の陣で息子と共に討死をした。
 
  兄信幸は(国替えにより上田藩から)1622年に松代藩の初代
 藩主となって松代10万石を築き、90歳過ぎまでの長寿を全うした。
 (衣類や甲冑などから、185cmという異例の長身だったそうだ)