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「昭和のくらし博物館」
大田区南久が原
2-26-19
(国の登録文化財)


  昭和26年に建てられた民家で、家族が平成8年までの45年間
住んでいたが無人となったため、戦後の庶民の暮らしを家財とととも
に映し出す場所として、長女の小泉和子さんが博物館として公開。
 ここでは四季に応じた展示や、生活史の講座が開かれるほか、
映画「三丁目の夕日」の撮影スタッフが取材に訪れるなど時代考証
の資料を提供しています。
 
 1,2階を合わせて18坪という狭い住宅に一家6人と賄い・洗濯付き
の下宿人も2名住んでいたとか。
 最初は水道もガスもなく「もらい井戸」から始まりお風呂は最後まで
銭湯でした。
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                                  たらいで洗濯をした時代がありましたね。
                                  井戸水で家族全員の洗濯は半日がかり。

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近くの学童保育クラブの小学生が来て、
駒を回していました。
「僕たち、面白い?」 「うん、面白いよ!」

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                               これは昭和30年代初期のシンガーミシン。
                               ミシンもご近所で貸し借りの対象だったとか。
                               子どもの洋服は母親の手つくりが普通でしたね。

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ちゃぶ台を囲むお茶の間が
家族団らんの舞台でした。
昭和20年から30年代には
孤食はあり得なかった・・・。



 小泉家のお母さんは大変物持ちが良い人で、家具の他、台所の鍋釜から
日常の雑貨、子どもの玩具に至るまで生活用品が残されています。
 現代のようなデザイン性は低いし、ゴテゴテした感じのものが多いのですが、
全体にほのぼの感が充満しているのです。手作り感でしょうか。

 この時代の暮らしぶりを真近に見て、自分の家庭を思い出すと、特に母親
の負担は早朝から深夜まで休みなしの重労働だったな~と思います。
 不便でモノのない時代だったけど、隣近所とも仲良くてなぜか面白かった! 
ただ、家事労働の重さを考えると、あの時代にはもう戻れないかな。

 家庭での負担はラクになりました。でも電化とともに役割も薄れて、何か
が失われていった。それぞれ自分が大事になり、責任感も軽くなった・・・。
みんなのためにという公共心のお手本が次第に薄れ、お手本があっても
家族や周囲の相互注目が消えていったとも言えるでしょうか。