都内某4丁目
斜向いAさん邸
このGWが終わる来週の5月10日から我が家の斜向いにあるAさん邸が
解体されることになりました。
戦前に建てられた古い日本家屋ですが、主を失い相続人により売却され
たのです。
70代のご夫婦が住んでいました。ご主人はこの地に生まれ、早稲田大学
を卒業後、大手のガラス会社に勤務し、仕事を辞めた後は長らく町内会長
のお役を担うなど、古くからあるこの地域の名士でした・・・。
この日本家屋が大好きで、マンションに移らないかというご主人の提案を
NOとしていた久美恵夫人が、2010年7月に70歳で亡くなりました。
彼女は学習院大学を出たあと、日本航空のスチュワーデスとなり、結婚し、
子どもがいなかったのでその後も地上勤務をして定年まで働いていたキャ
リアウーマンです。美人でいつもつばの広い帽子を被り、この大きなお宅の
中には帽子が100も 200もストックされた専用の部屋があって、久美恵さん
に見せてもらったことがあります。
JALの俳句の会では有名人だったようですが、家事やスポーツは不得手
だったようで体力が低下したのでしょうか、60代後半で2階の階段から落ち
てから、内臓系の持病が悪化したらしく次第に足腰が弱り、痛々しい足取り
でご主人と外食に向かう姿をよく見かけました。
夫人が亡くなってから、70代後半のご主人は本当に寂しそうで、毎日
コンビニの弁当を買い、ぶらぶらと下げながら暮らしていました。
顔を合わせるつど、「Aさん、ご飯をちゃんと食べていますか~?」と声をか
けると「食べてるけど寂しいよなあ~」と弱々しい答えが返りました・・・。
元気な頃、近所では「美女と野獣」なんて囁かれ、夫婦仲はあまりよろしく
なかったようですが、ご亭主は会話の相手も失い落胆の中、やはり持病を
悪化させて、妻亡きあとちょうど1年目の2011年7月に亡くなったのです。
夫人の闘病中、ご主人の兄の息子(甥)と養子縁組を結んだそうですが、
(こっそりですが)ご主人が一人になっても、あまり顔を見せることがなかった
ように思います。
ご近所に住む立場から勝手を申せば、土地を区に寄贈して「A邸記念公園」
とすれば、ご夫妻が生きた証と名前は永遠に残されたのにな~と・・・。
先日、解体工事を請け負う会社の担当が挨拶に見えました。
「木造家屋なのになぜ、解体に1ケ月もかかるのですか?」とたずねたら
「部屋の中の荷物が沢山ありまして、運び出して廃棄するだけでも何日も
かかるのです」と・・・。 そうか、あの格好良い帽子や素敵な洋服も主がいな
くなれば、ただのゴミになるのだよね・・・・。
私たちが居住する都心のM区は地方に較べるとかなり余裕がある自治体
ですが、森ビルと組んで大型の再開発をするのに、住民の暮らし向上を
図るソフトの予算には回らないような気がします。住民も黙っている傾向かな。
若い人が住むには居住費も物価も高いから年々高齢化が進んで、うちの
周辺は80代が増え、一人暮しが目立ってきて毎日が不安げで寂しそう・・・。
欧米の教会区のように歩いて5分位のところに住民が集まってランチをした
り、お茶を飲んでおしゃべりができるクラブができればいいなーと思いますね。
箱モノをつくらずとも委託でも、既存の店へのチケット配給でも、高齢者福祉と
していろんな手段の可能性があるでしょうに。
高齢社会となっても人々が元気で暮らせる原点は、あの三丁目の夕日の
時代のようなご近所のコミュニケーションではないのかな。
受益者負担でいいから、その装置づくりを行政がやれないでしょうかねー。
知り合いの若い区議に話してあるのですが、又連絡を入れてみようかな・・。
