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重要文化財 
旧開智学校
(長野県松本市)





<旧開智学校にあるコミュニティの強い信念>

 5月13日に松本市内で2つの重要文化財を見学しました。
まずは、明治以来の教育の原点がここにありと思われる旧開智学校から。
(現在松本市立開智小学校がモダンな造りで隣接する)

 明治6年(1873年)に初代筑摩県権令・永山盛輝により開校された学校
で、日本最古の小学校の一つ。 
(筑摩県松本町には今の岐阜県の一部も含む)

 当初は廃寺を教室に使って授業を始め、この校舎は明治9年(1876年)、
立石清重が開成学校(東京大学の前身)を参考に設計施工したのですが、
松本城の築城以来の大工事だったとか・・・。(1963年まで 90年間使用)

 「開智」の校名は明治6年の太政官布告にある「其身を修め智を開き才芸
を長ずるは、学にあらざれば能ず」と教育のゆえんを説く箇所から採ったと
されています・・・。

 信州最大の財産は人材にありとして当時1万円※(今に換算すると1億円)
を超える巨額な工事費の7割を住民が拠出・調達したのは、学校を中心に
据えたコミュニティの強い信念と健全さを物語るものかなーと思いますね。
住民が未来に向けて身銭をきる覚悟は、今やどこかに消えましたもの。
(当時、教育に関わる費用は民費負担で国や県からの補助はゼロだった)

※明治時代の1円は現在の1万円に相当する

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永山盛輝(1826~1902)
明治政府の重鎮 大久保
利通につながる人物


 永山盛輝は優秀な教師を東京から破格の待遇で招いた後、自ら管内を
くまなく歩き、あらゆる冗費を倹約させて、学校の創設を勧め、各地では模範
授業を見せながら民衆を積極的に啓発したそうで、近年改めて問われている
コミュニティスクール(地域運営校)の萌芽がこの時代にあったことに感動・・・。

(現在、私学や国立大附属では小学校でも教師を全国から幅広く探してきま
すが、140年も昔に公立校が教員をヘッドハンティングしたことは凄い!!)



<旧制松本高校に見る教育の器とは・・・>

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旧制松本高等学校
本館(重要文化財)

(絵 三田智恵子)


 旧制高等学校は明治19年(1886年)に開校され、昭25年(1950年)に廃止
されるまでの間、70年間にわたり日本の教育界に大きな影響をもたらしたと
言われています。全国で41校。各校文科理科で一学年100数十人程度の
学校だったことは(進学率の点で)今では想像しがたいエリート集団ですね。

 帝国大学の予備学校でもあったのですが、附属ではないので、各校、自由
と独立の校風をもち、大半が寮に住んで寝食をともにし、文武両道、バンカラ
を旨としていたようです。
 寮歌を歌い、ストームと呼ばれる大円陣のお祭り騒ぎや簀巻き(すまき・
寝込みを襲い、布団巻きにして駅や公衆の中、女子寮に放り出す)など現在
では考えられない破天荒ですが、・・・日本のリーダーを育成する気概で、地元
の人々が彼らの行動を大目に見守ってきたのだと思います。
 
(松本高校では)カントやヘーゲルを読破する一方、近郊の浅間温泉で芸者遊
びをする生徒もいて、このスケールの大きさが一流人を育てたのでしょうか。

(石原裕次郎が慶応義塾高校の時代に、父親の遺産を飲みつぶしたという話に
似ており、サスガに20世紀の大スターは違う!? )
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旧制松本高校の思誠寮

現在は旧制高校記念館
内に、第一高校から
全校別の展示がある。



 旧制松本高校は大正8年(1919年)に全国9番目にできた学校で、2011年
に逝去した作家の北杜生が書いた「どくとるマンボウ青春記」に当時の様子
が詳しく描かれていますし、最近ではNHKの朝ドラ「おひさま」で、主人公の兄
が医学部をめざして在学し寮生活をおくった舞台として紹介されていましたね。

 松高からは(卒業後殆どが東京帝国大学などに進学)、政界財界にも幾多
の英才を輩出していますが、学問・文化・芸術などの領域に顕著で、
芦部信喜(憲法学者)、臼井吉見、唐木順三、北杜生、熊井啓(映画監督)、
辻邦生、中島健蔵、望月一恵、若月俊一(地域医療)など、日本を代表する
顔ぶれがたくさん並びます。

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マント,白線帽,高下駄の
シルエットが今となって
は美しく格好いい。
(旧制高校記念館正面)


 

<教育県 長野の栄光と挫折とは>

 開智学校と旧制松本高校は、信州教育の礎となり、明治以来の100年、
日本の教育をリードしてきたのですが、それまでの「教育県」が90年代に
「教育過疎県」と極端にマイナス評価されるに至ったのはなぜでしょうか。

 開智学校の背景にあったコミュニティの強い信念や、旧制松本高校を支
えた教育の器や住民の大らかさを拠り所に、本質を守りながらも時代の
変遷に対応して応用するギアチェンジができなかったように思えるのです。
(信濃教育会や日教組など、長野県は教育のガバナンスが他県より複雑
でその分責任も曖昧。誰も船の舵を切れなかったのではと思いますね)

 「奢れる平家は久しからず」にも似て、77年の高校12学区制導入のあと、
89年には4年制大学の現役合格率が11。4%までに落ち込んで、結果、
90年代にマスコミが書いた『気がつけばビリから3番』という見出しが明快

に実情を示して県内に衝撃が走ったとか・・・。
「長野は教育県だよ~」と屋形船で障子を下して酒盛りをしている間に、
船は遠く沖合に流されていた・・・というイメージでしょうか(苦笑)。

 その点、東京には伝統的な名門私学などテーマ型コミュ二ティスクール
があり、公立小中学校でも20年前から選択制度が導入されたりと、
小学校から競争原理が働いていますね。あと、地方に行くほど色濃い学校
の官尊民卑はなくて、むしろ今は「民尊官卑」に近いかもしれません。

(※都内には国立大学附属小学校が6校あり、中学・高校は最難関ですが、
モデル校としての深い伝統と明確な教育方針、教師の専門性とリーダー
シップ、親の熱意と都会的な雰囲気は私学以上のものを感じますし、、
慶応幼稚舎(=小学校)の方が地味との噂もありますね)

 私も松本の出なので、東京で子供の進学に携わるまで分からなかった
のですが(小学校受験も中学受験も経験ずみ)、「小学校お受験」は、
テストの点数だけでは合格できない総合評価だから、勉強一本やりより
難しく親の勝負。(合格者も男女数十名という針の穴ですしね・・・)
でも親は教育理念の明確な私学(や国立)で、思春期の受験を避けてノビ
ノビ育てようと考える人が多い。 紳士淑女の教育の場にもなりますし・・・。

 勉強ができて有名な大学に入れば生涯何とかなる時代は終わったかな。
何せグローバルに競うのだから、金太郎飴の人材では太刀打ちできない。

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 基礎学力を積み上げた上で、これからは開智や松本高校の教育理念を
思い起こしながら、住民を含めて人々が関わり合い、もっと幅広い能力を、
しかも市民としての公共心を養う教育を考える必要がありそうです。
 アメリカでは幼稚園から小学校にかけて市民の社会的な責任を学び、
自分の意見を出して議論しあう。この点、日本は遅れていますよねー。

 親や住民もうるさい人が多いようですが、教師もサラリーマンとならず、
真正面から向き合って親から住民まで啓蒙する覚悟をもってほしい。
 ただ、学校という限られた空間しか体験できていない教師が、国際社会
の幾多の分野で仕事をする人を育成することには限界がある。
その点では教師の職業的流動性を高めて、地域のさまざまな専門家が
学校教育に関わるという装置が必要ではないでしょうか。

 近年は長野県も多々努力をして基礎学力の回復はできつつあるよう
ですが、ピンチをチャンスに斬新な教育システムの構築をしてほしいもの
です。

頑張れ、ふたたび信州教育!!