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旧制松本高校の
跡地内にある
旧制高校記念館
(松本・あがたの森)




 
6月2日(土)、5月に次いで再び松本の旧制高校記念館を訪れました。
 (ここには松本高校の他、一高からはじまる全旧制高校の展示がある)

 今の自分にできるかな~と思う一つとして、若者の背中を押すために、
世代や職業や生き様を超えたクロスカルチャーの寺子屋を考えているの
ですが、その井戸がここにあるように思えたからです・・・。

 旧制松本高校は大正8年(1919年)に開校し、戦後の学制改革により
昭和25年(1950年)、「信州大学文理学部」へと看板が変わりましたが、
私は文理学部の終盤(のち更に改組され今の人文・経済・理学部になる
直前)に入学して、法律を専攻した珍しい女子学生の一人でした。
 法律や経済を専攻した女性は上も下も不在で、私の学年に2名だけ。
コンパで「ボクの酒は飲めないの?」と言う一人一人に対応しているうち、
20歳で酒豪と呼ばれ、キャリアを積んで今日に至っていますよ~(笑い)

 旧制松高はなくなっても校舎は変わらず、伝統もそのまま残りました。
落書きだらけの思誠寮に学生が住み、どてら姿の7年生や8年生が
おっさん状態で在学して、授業が退屈だと教授に「やめまっしょ!」と
叫んだり、集まれば松高の寮歌を歌い、簀巻きやストームなど破天荒な
伝統行事をして、街中でも大騒ぎが許された古き良き時代でしたね~。
(私もソプラノで寮歌を歌い、思誠寮から簀巻きが女子寮に投げ込まれ
たと聞くと興味津々覗き見に行ってました・苦笑)

⇒旧制高校記念館は母校と同じで、10回以上の訪問をしているのですが、
 目的のために何かを探そうと展示を見学したのは初めてです。

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旧制松本高校の教授
となり北杜生に慕われ
た物理の松崎一先生
(1917~ 2011)


 松本高校の展示に欠かせないOBに斉藤宗吉(茂吉の次男で
精神科医・作家の北杜生
)がいるのですが、彼は医者をめざしな
がら物理が苦手だったらしく、答案に「恋人よ この世に物理学とか
言うものがあることは 海のやうにも空のやうにも悲しいことだ・・・」
から始まる長い詩を書いて、回答の無い答案ながら、あまりの名文
に59点を与えたのが、当時20代の松崎教授でした。
(60点未満が4科目以上あると成績が親元に送られ、宗吉(北杜生)
さんは後日親父の茂吉さんから相当油を絞られたとか・・・)

松崎一(はじめ)さん。大正6年(1917年)長野県更埴市生まれ。
松本高等学校理科甲類を経て、東京大学理学部物理学科卒業。
昭和17年(1942年)1月松本高校の講師になり、9月には教授。
のち信州大学教授、教養部長となって昭和58年(1983年)退官。
その後松商学園短期大学学長

松崎教授と北杜生さんは、卒業後20年以上を経た昭和41年に
 NHKの「私の秘密」で対面したり、昭和43年、北が松本高校時代
 をユーモラスに描いた著作 「どくとるマンボウ青春記」を出版して、
 松崎教授とのエピソードを実名で紹介している。
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 松崎先生は物理の学者なので、本来私にはご縁がない筈ですが、
夫の所属したマンドリンクラブの(楽譜は読まず楽器を持たない)
顧問となられ、やがて仲人をしていただいてからは、私にも深い
ご縁ができて、蘭子夫人共々晩年までのお付き合いの中、数えきれ
ないほどご自宅に出入りしてご馳走になりました。

 
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松崎先生が松高生
(19歳)当時に作成
した松本市内の
「盛り場案内図」





 昭和59年(1984年)に先生がこれまで信濃毎日新聞や大学の機関紙
などに書き留めた原稿を整理して本を出されることになり、私に編集の
ご指名があったので、とりまとめ完成したのが著作の『惜春の詩』です。
(のち続編、続々編まで)

 「惜春の詩」は(・・タイトルの意味など)
松高を代表する寮歌「春寂寥」に、先生の奥深い知性と心の青春を重ねて
名付け、章見出しに「ヒマラヤ杉讃歌」、「贈る言葉」、「佳い日旅立ち」など
詩や歌系の名前を付けたのは私の趣味でした(笑い)。
  昨年2月16日、93歳で逝去された後の偲ぶ会で、その看板名が
「『惜春の詩』松崎一先生を語る」と書かれたことで、私にも少しだけ恩返
しができたなぁという感慨がありましたねぇ・・・。

 で、その「惜春の詩」に旧制高校の真髄を語る表記があります。
昭和56年(1981年)の末に、民放の「すばらしき仲間」という番組に松高
の同窓生3名ー北杜生(作家)、小塩節(ドイツ文学者)、熊井啓(映画監督)
が出演して思い出を語った際の話・・・。
「高等学校で我々は実にいろんな事をした。遊びもし、勉強もし、背伸びを
しながら友達と論争したこともあった。しかし、学問を習うということよりは
『心』を教えてもらったんだ」(
北杜生が片手を胸に当てて語り、皆で頷く・・)

 この場面が松崎先生に一番印象的だったそうで、先生は後、昭和57年の
信州大学入学式で、この話を引用しながら次のように結んでおいでです。
「教養」とは一体何か。私は「心」だと思う。人を思いやる心とか、ものを慈し
む心とか、そういった心をやはり君たちは此処で培っていっていただきたい」

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記念館のモチーフに
なっている青春群像
「夕日にたたずむ」





 昔は旧制高校に進学すれば自分の志望学科のある大学進学は
(医学部を含めて、それも帝国大学中心に)ほぼ約束されていたとか。
※旧制高校は、毎年全国で5000名程度の卒業生を送り出すが、
 5帝大(東京・京都・東北・大阪・九州)の入学定員の方が多く、一橋
 や東京工大、地方の国立医科大を数えるとまさに広き門であった。

 で、受験勉強の鬼となる必要がなくて3年間を哲学や文学やスポーツや
寮の自治や宴会など、ノビノビと過ごせたのは、女の私でも羨ましい!!

 「これに反し、今の高校生は・・・・」という松崎先生の続き言葉ですが、
「学生に(智の)飢えを感じさせるにはどうしたらよいか。やはり教師の側から
積極的に手をさしのべ、近づき、まぶしい程に魅力ある世界(それが学問の
世界であれ何であれ)を覗き見させる必要があるのではないか。もっと泥臭い
付き合いの中から真実のものを掴ませること、これがわれわれに課せられた
仕事ではないだろうか」

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 松崎先生を偲ぶ会は昨年5月15日に、旧制松本高校以来の講堂で開か
れたのですが、前日ネパールのカトマンズから帰国した私に、紅一点の
スピーチの機会が与えられました。(勿論大先輩だらけなので尻尾ですが)

会場で、参列者の皆さまにこんな話を申し上げました。

「松崎先生は信州人には珍しい程にジェントルマンでダンディなお方でした。
お会いするつどお話がユーモラスで、相手が楽しくなる、幸せな思いをする
ようにと会話を盛り上げてくださり、晩年のホームや病院でも先生のダンディ
ズムは変わりませんでした。先生からたくさん「人生の粋」を学ばせていただ
いたことを心から感謝しています。
 
 ただその分、先生は堅苦しく長い挨拶がお嫌いで、式典の最中、壇上でも
堂々と居眠りをされ、その後、物理のお弟子さんを通じて私にお呼び出しが
かかるのです。先生の要件は「もう家に帰るから(一緒に行ってくれ)」と。
 こうして私は何度もパーティで先生と一緒に中座をしたものですから、
今もあちこち飲み残しがあります(笑い)」

 今改めて思い返すと、松崎先生からは、やはり何かを託されたなあと感じ
ますね~。微力ですが社会のお役に立てられるようにもうしばらく頑張ります
ので、どうか天国から見守っていてください!

※このblogにある「開智と旧制高校に教育の原点」も
 併せてお読みくださいませ。