熟女はご意見番

三田もBarにいる

三田は自宅を珍barにする

DSCF0314










自宅のbarは畳の和室
慣れない彼らも正座を
したりと大丈夫そう・・。

 

 1月28日(土)の昼下がりに、三田の自宅はbarになりました。
写真をご覧くださいな。外国人がいて、子どもがいて、よーく
見ると日本の若者も数名。中々珍しい組み合わせでしょう・・・。

ナニナニ、何の集まりって?
 ここにいる15名のうち7名は外国人ですが、実は男性5名は
海軍の軍人で、インド、オーストラリア、韓国、シンガポールの
海軍大佐と少佐です・・・。(平たく言えば相当偉い人々ですね)

 2年前から(この日も参加した)ある弁護士の依頼を受けて、
海上自衛隊幹部学校に海外から留学してきた海軍の幹部
サポートするホストファミリーを夫婦で引き受けているのですが、
彼らは1年間の履修を経て3月に卒業し帰国するため、拙宅に
(今期卒業の全員を)招いて、お祝いの会を開きました。

※防衛大学を卒業後、各地の部隊に配属され実務経験を経た
 成績優秀な自衛官が学ぶ大学院レベルの高等教育校で、
 統合幕僚学校長のもと、海上、陸上、航空自衛隊の3部門に
 分かれて教育が行われている。日本からも交換留学で海外
 に派遣しており,(年度により)台湾やアメリカとも交流する。

 
 
 
 
 ホストファミリーは外国の軍人幹部に日本の文化や生活習慣、
自宅での暮しや観光地などを紹介して、日本への好感度を高め
てもらい、友好関係を結びながら「日本を攻めないでくださいね」
と、いわば抑止力にもつながる民間外交でしょうか。
 うちはインドの海軍大佐のホストをしているので、この日は夫人
と小学生の息子さんを同伴して楽しみに参加されました。

 で当日は私の友人もご子息と手伝いを兼ねて参加してくれた他、
日本の民間人、特に若い大学生との交流は得難いでしょうと、
私のテニスのコーチである慶応の学生と、日常から付き合いの
ある早稲田の理工院生にも声をかけて来ていただき、賑やかな
宴会となりました。双方にとって理解が深まり、良き思い出に残れ
ばいいなーと思います。

 昔昔大学生の頃、教員免許をとるための教育実習中、母校の
高校で政治経済を担当した際、運悪く(?)憲法9条の講義をする
ことになり、「自衛隊は憲法9条に違反しています」と堂々話して、
高3の生徒からはやんやの喝采を受けたのですが、後で教員室に
呼ばれこっぴどく絞られたという苦い経験があります・・・。
その私が・・・(苦笑)。 まあ、だから人生は面白いですよね!!

 ついでの話ですが、日本の自衛官も海外の軍人も皆さん優秀で
真面目に防衛を考えていると思うのですが、それに較べて、
日本の防衛大臣のお粗末には、怒る気力も薄れ笑えませんか?
国会中継を見ていると、基礎知識もなく、緊張感のない表情で答弁し、
そもそも質疑への答弁はメモを手放せず、自分の言葉で語れない・・。
まるで下手な学芸会ですぞ。こんな素人めいた閣僚がイザという時
にどう国民を守る陣頭指揮をとるのでしょうか?!  
不安でワナワナしてまいります・・・。 喝!!


あけましておめでとうございます

DSCF0226




















多くの災難に見舞われた2011年から12年に変わりましたが、
皆さまはどこでどんな年末年始をお迎えになりましたか?

 私の年末は10年来同じ仲間と、行き先も同じ伊豆の修禅寺近郊にある
温泉旅館に行って、お湯に浸かり2泊3日の宴会をして参りましたので、
当面はbarに行く気力・体力・財力がありません(笑い)。
まずは皆さまに年賀状をもって新年のご挨拶をお届けいたします。

今年は明るい話題が増えることを祈りつつ、お元気でお過ごし下さいませ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あけましておめでとうございます。

昇り龍を期待の新年。高い飛翔を望み支えたいですよねー。
 昨年3月末、宮城と福島の現場に立って大きな無力感を味わうも、
元気でいる限り社会の舞台裏でお役に立ちたいと思いました。

 5月に出かけたネパールで光と影を体験しましたが、輝くヒマラヤ
連峰と煌めく星座のような子供たちの笑顔に未来を信じたい。

 発想力が斬新な大阪の龍馬さんに「千万人といえども我行かん」
を念じつつ、私たちも観客席にいるだけでなく市民の覚悟と責任で
YESとNOを発信できるといいですね・・・。

                             2012年1月1日
                                三田智恵子
                           
 

blogの舞台裏(こんな理由で)


DSCF0075(1997年9月、NEC発行のPR誌で)

 「この人は誰?」⇒「はい、14年前の私、三田智恵子ですよ~」
たった14年ともいえる歳月ですが、人は日々変わり超スピード・・。
先が見えてきて、でもこのドン詰まってきた社会に知らん顔をして隠居は
できない貧乏性ですが、皆さまは人生思い残すことはありませんか?

「なぜblogを?」ですって・・・?
シンプルにお答えするのであれば、先頭をきってYESとNOを含めた自分の
意思表示を公開したいと思いました。

 3年程前のことですがイタリアに取材で出かけた時、ガイドさんなどイタリア
人数名に日本人の印象を聞いてみました。皆さんの返事は似たり寄ったりで
。「日本人は真面目で仕事も手を抜かないように思えるので、日本製の
工業製品は人気があります。でも、イタリアで見る日本人はいつも団体行動で、
みんな同じような服装、髪型、表情で足早に歩いているので、まるで軍隊みた
い。また、こちらで何か質問をしても曖昧に笑うばかりで、自分の意見を持って
いないのかなと・・・」。

 かって私は世界の主要都市に在住する日本人を100名以上レポーターに
頼んで、海外のタウンニュースを配信するベンチャービジネスを10年近く経験
しました。その時も世界の街角で(セキュリティの観点を入れて)現地の人々が
日本人をどう見ているかの調査をしたのですが・・・。
 結果から申し上げると、少なくとも欧米人は、上のイタリア人と同じ目で見て
いることが多いように思いますねー。日本人留学生について尋ねると、「日本
の歴史や戦争のこと、芸術や文化について質問をしても殆ど知らない。自分
の国のことをよく理解しないまま、よその国で何を学ぼうとするのだろう?」と。

 内外が心配な状況になってきた昨今ですが、外交や政治などは(周辺の顔
色優先ではっきりものを言えない、覚悟をもって交渉ができない点で)国民性
がそのまま出ており、政治家だけを責められないと思いませんか?
「国民は、その国民と同レベルの政治家しか持てない」という格言通りでしょう。

 だから、外野席で不平や不満をつぶやくだけでなく次世代へのバトンを少し
でも改善して渡すために、市民としての覚悟と責任で考え、発言していきたい、
そんなお仲間が増えるといいなーと感じています・・・。
 たった一度の人生ですし、10年20年先のわが身はわからないから、人の目
を気にせず、蛸壺に入らず、「3丁目の夕日」の時代みたいに、皆でお世話を
やきあいましょう! 

<余談ですが>

 最近はどこへ行くにもメモの他、小型のカメラを持つようになりました。
仕事上撮影などで使ってきたNikonのDXという中型の一眼レフもありますが、
重いのでFUJIFILMの小型を携帯して「何か面白い事はないか」と、何やら事件
記者のノリです。皆さまも街のネタ探しに出かけませんか? 


ぴか一のダンディズムをBarで偲ぶ

DSCF0022(11月19日、CINQにて)

 11月19日(土)の夕方からいつものBarサンクにテニスの仲間が集まりました。
遠くは愛知県からの30 代夫妻(元学生コーチ)を含め年代さまざまの12名。
(思い出の主がいつも座っていたカウンター席の周辺はこれで満席)
 30年以上前に今の東京青年会議所テニスクラブを立ち上げて、ずっと会の
中心だった和田章宏さんが2010年12月12日に亡くなって早くも1年近く。63歳
でした。彼はサンクが好きで皆でよく飲みに行った由縁から、2月に「お別れ会」
を開いたこの店で飲みながら思い出を語り合いましょうということに・・・。

 信州生まれの私からすると、あの時代にこんな学生時代を送った人がいた
のか、かくも格好良い生き様ができるのかと思えるようにダンディな人でした。
 小中学校は青山学院で、日吉の慶応高校から経済学部へ。(のち稼業の
文具メーカー3代目社長に)
 戦後間もない時代にご幼少の頃から私学・・。信州にいて高校生になっても
東京に私立の小中学校があるなんて全然知りませんでした(苦笑)。
 更にナニナニ高校生から車を運転して通学ですって?!信州では自転車が
せいぜいでしたよー。まるで石原裕次郎か加山雄三に近い世界ですよねー。

 お坊ちゃまOB,お嬢ちゃまOGが多い慶応でも、和田さんはぴか一のダンディ
だったという話で盛り上がりました。立居振舞、ファッションセンスも一流でしたが
お酒の飲み方のスマートさは抜群でしたね。女性(ホステス)のいる店は好まず、
和洋酒の知識を豊富に持ち、連れの話を楽しそうに耳を傾ける聞き上手・・・。

 肺がんの宣告とオペから1年半。転移の診断で覚悟をしていたらしく、しかも
最期をBarかテニスコートで迎えようと望んでいたようで、亡くなる3ケ月前まで
(去年の猛暑の中を8月末まで)毎週日曜の朝は長身をフラつかせながらコート
にやってきました。仲間の歯科医が主治医になり皆で支えながらのテニス・・。
そして、その後は永年変わらずのビールランチを賑やかに。(更に二次会も) 

 私たちの前に姿を見せたのは拙宅で開いた9月末の宴会が最後でしたが何と、
亡くなる2週間前の11月末にもBarに現れたと、バーテンさんから聞いています。
 
 どうせ生命に終わりがくるのであれば、病院のベッドに点滴付きで縛られること
なく当日まで自由人でいたい・・とご本人から聞いていましたが、私も似た状況に
置かれたら同じようにしたいものです。うーん、女も格好よく終わりたい。

PCのデータ消失をBarで救われた話

DSCF0029

(新しいPCと、修復データのハードディスク、反省してバックアップ装置のHDDを用意)

「文明の利器を失い青ざめる」
 使い慣れた古いパソコンとはいえ、もう少し働いてもらうつもりでいましたが、10月24日の午後、遂にダウンされてウンともスンとも言ってくれない事態になりました。(7年頑張ってくれたPCの臨終でした)
最初は半信半疑でいたけれど、やがて文明の利器を失うことの意味が分かり青ざめましたねー。
高級ブランドなら買い直せばいいけれど、ここ10数年の自分の知的財産はお金で買えないのだと・・・。

 知り合いのSEさんに助けを求めたら、データの復旧はその道の専門会社に頼むしかないということで、銀座にある某社にお願いして2日後に復旧してもらえたのですが、かかった費用は約13万円。(消費税込)
噂によると20万円、30万円請求されることも多々あるから安くてラッキーだよとも言われ・・・。

「消失メール、barに救いの神」
 ところがです、復旧した筈のメール(受信・送信済みデータ)が新しく用意したパソコンに姿を見せず、私にとって最も財産価値が高い「メールアドレス帳」も、旧outlook expressから  新outlook2010に変換編入ができなくて、「何とかなりませんか?!」とデータ復旧会社に2時間座り込んだのですが、「これは専門外だからMicrosoftの本社に行ってください」だなんて、驚くよりも笑えるような説明にガックリコン!!

 肩を落としたままトボトボと、両手に古いPCと新しいPCと、外付けHDDを持ってBar CINQに行き、
マスターに「一杯飲ませて~」と言いながら、事情を説明したところ、想定外の話の展開に・・・。
「うちのホームページをお願いしているSEなら大丈夫、直せますよ!」と。その場で電話を入れてくださり、数日後には凄腕SEさんがBarに現れて、カウンターで見事データを変換しつつ新PCにインポート。(登録アドレス3000件、受発信メールが35,000件に「これからは整理してくださいね」⇒「はい!」とお返事) やはり三田にとってBarオフィスは最後の拠り所です・・・ね。

<BLOG開局までの舞台裏>
 このblog開設は、2011年6月にパソコンスクールに通う前準備から始まりました。
photoshopから始めてHTMLなどを履修して・・ホームページへと進むべきところ、20年来のお付き合いがある
SEの山本渉さんにご相談したら、HPを自作自演するのは経験を要するからblogから始めたらいかがでしょうと助言を受けて、それから数ケ月・・・私のようなド素人には長く厄介な道のりでした。
 livedoorのシステムを使い、山本さんにカスタマイズとデザインを整えていただいたのですが、私の能力不足に加えこちらの希望も数多くて本当にお世話になりました!! (今も修正や追加でお願いが続いていますが・・・)

 更にイラストではNEWROCK木綿子さんに表現力豊かな絵を描いていただき、テーマからいえば難しい話を
エンタメ流に演出して下さったことに感謝です。これからも折につけて素敵なイラストをお願いする予定なので、ご期待ください。(NEWROCKさんは、文化放送のblogに華やかなイラストをお描きですよー)
 ⇒    http://www.newrockyuko.com        http://blog.newrockyuko.com







 
プロフィール

mitanews